産経WEST

【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(1)「公」を忘れた日本人へ 幕府軍役に応じ反乱討伐

産経WEST 産経WEST

記事詳細

更新

【戦後71年 楠木正成考<第3部>】
挙兵前夜(1)「公」を忘れた日本人へ 幕府軍役に応じ反乱討伐

畝傍山の西側上空から見た貝吹山(中央。その左奥は高取山)=奈良県橿原市(本社ヘリから、恵守乾撮影) 畝傍山の西側上空から見た貝吹山(中央。その左奥は高取山)=奈良県橿原市(本社ヘリから、恵守乾撮影)

 『大楠公』には、正成が邦永を討った正和5年4月にこんな記述もある。

 〈大楠公、八尾(矢尾)顕幸を河内人見山に破る〉

 顕幸は、数え12歳で戦った初陣の敵であり、その後も度々、戦場でまみえた宿敵である。2つの戦は、当時の正成が領地を接する武家との争いを繰り返す一方で、鎌倉幕府の軍役にも応じていたことをうかがわせて興味深い。

     ◇

 高取町越智には今も越智氏の菩提寺、光雲禅(こううんぜん)寺がある。境内には代々の墓碑が並び、第8代に邦永の名が刻まれている。

 越智氏の第9代は邦永の子の邦澄(くにずみ)。高取城を築き、南朝方となって、正成らとともに戦ったと伝承される武将である。

 「昨日の敵が今日の味方という点で、いかにも乱世を感じさせるが、正成も越智氏も忠義の人だったということでしょう」

 関光徳住職はそう語る。南朝方になった2人の忠義の対象は、倒幕を目指した後醍醐天皇である。鎌倉武士だった正成が幕府を見限り、天皇につくことを決心したのはなぜか。永島長老はこう推測する。

 「正成という人物には私利私欲が感じられない。先見の明があり、国を思ってのことだったに違いない」

     ◇

 楠木正成は最新の研究では、北条得宗家(執権家)の被官だったとされる。鎌倉幕府の一員の正成に幕府を見限らせたのは、後醍醐天皇との出会いだった。第3部では正成の「変節」を通じて、日本人にとって「公」とは何かを考える。

     ◇

【用語解説】光雲禅寺

 奈良県高取町越智にある黄檗(おうばく)宗の寺院。付近は筒井氏などとともに有力な中世大和武士だった越智氏の拠点とされる。

続きを読む

このニュースの写真

  • 挙兵前夜(1)「公」を忘れた日本人へ 幕府軍役に応じ反乱討伐

関連ニュース

【戦後71年 楠木正成考<第3部>】挙兵前夜(2)「公」を忘れた日本人へ 鳴り響く武名 勢力拡大

「産経WEST」のランキング