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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】武士から武将へ(5)「公」を忘れた日本人へ 知と人が支えた「鉄壁の城」

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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】
武士から武将へ(5)「公」を忘れた日本人へ 知と人が支えた「鉄壁の城」

千早城跡に建つ千早神社。正成夫妻と長男・正行を祭る=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影) 千早城跡に建つ千早神社。正成夫妻と長男・正行を祭る=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)

 〈楠公がその追求を免れ得たのは、楠公が元服以来二十数年間、領民を愛撫し、恩恵を施して信望が厚かったことと、北条氏に対する人々の不平や反感が、楠公への同情となり、人々は協力を惜まなかったためである〉

 千早城は正成の死後、正行、正儀(まさのり)、正勝(まさかつ)と3代にわたって居城となった。北朝方の畠山基国についに攻め落とされたのは明徳3(1392)年、60年後のことだ。楠木一族の強靱(きょうじん)な戦いを支えた城と領民は、武将として領主として成長した正成の実像を伝えるものである。   =第2部おわり(第3部に続く)

     ◇

 【用語解説】千早城跡

 昭和9(1934)年3月、上赤坂城跡(国史跡名・楠木城跡)、下赤坂城跡(同・赤阪城跡)と共に国史跡に指定された。千早神社や大阪府立千早山の家がある。

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