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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】武士から武将へ(4)「公」を忘れた日本人へ 兵法習得を重視、16歳で元服

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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】
武士から武将へ(4)「公」を忘れた日本人へ 兵法習得を重視、16歳で元服

石碑が立つ楠木公誕生地。正成が元服したのもここと推測される=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影) 石碑が立つ楠木公誕生地。正成が元服したのもここと推測される=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)

 その年、正成は数え15歳。兵法教授を重視して元服が遅れたという見方もできる。

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 〈正和三年四月十五日、正成二十一歳とき、父正澄が亡くなり、正成は父に代つて赤坂の城主となりました〉(原文のまま)

 正成の次なる成長、楠木家の当主となった事情について、『大楠公と恩師瀧覚坊(りゅうかくぼう)』がそう書いている。同書は昭和18年、児童文学者の久留島武彦が書き、湊川神社に残っている。

 『大楠公』では、正成の父の逝去は正和4年。いずれにしても正成は、21歳か22歳で地方武士の棟梁(とうりょう)として一族を率いたのである。長い少年時代を経て生まれた若き青年武将。それが正成だった。

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 ◆楠公誕生地遺跡

 大阪府千早赤阪村にある楠木正成誕生の地と伝わる場所で、村立郷土資料館に隣接。楠公誕生地遺跡とも呼ばれる。明治8年、大久保利通が楠公遺跡めぐりをした際に建立した石碑が立つ。平成2年から発掘調査が行われ、正成が活躍した14世紀ごろの中世城館跡が確認された。

 縄文時代から中世に至る遺物も出土したが、大半は中世のもので、土師器(はじき)、国産や輸入陶器もあった。国産陶器は常滑や備前のもので、輸入陶器は当時希少だった青磁や白磁が多く、楠木氏の勢力を想像させる。

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