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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】武士から武将へ(3)「公」を忘れた日本人へ 初陣の功、父に奇襲を進言

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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】
武士から武将へ(3)「公」を忘れた日本人へ 初陣の功、父に奇襲を進言

常光寺に残る八尾別当顕幸の墓。顕幸の物語は正成の魅力を伝える=大阪府八尾市(恵守乾撮影) 常光寺に残る八尾別当顕幸の墓。顕幸の物語は正成の魅力を伝える=大阪府八尾市(恵守乾撮影)

「負けるといさぎよく仲間になる。義経と弁慶の関係にも似ている。忠臣である一方でアウトローでもある正成に、精神的よりどころを求める人は多かったと指摘する研究もある。正成になれなくても、それを支える人物に自分を重ねる人もいるなかで、物語は受け入れられていったのではないか」

 神戸大大学院の樋口大祐(だいすけ)教授はそう話す。

「顕幸は正成をめぐる話をおもしろくするために、作られた人物ではないか」

 八尾市立歴史民俗資料館の小谷利明館長はそう話す。実在を伝える唯一の史跡が同寺の墓しかなく、寺の古文書約800点を調査しても顕幸に関する記述が出てこないためだ。

 それでも墓を守る同寺の片岡英悟・副住職は言う。

 「寺としてずっとお守りしている。いい世の中にしようと戦ってきた先人あっての今の世の中ですから」

 ◆常光寺 臨済宗南禅寺派の寺院。本尊の木造地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像、本堂、阿弥陀堂、行者堂などが八尾市の指定文化財となっている。

 寺伝によると、木造地蔵菩薩像は平安時代初期、参議小野篁(たかむら)が六道の辻で衆生を救う地蔵に会って作ったという。地蔵菩薩への幅広い信仰を集め、足利義満の祖母も帰依するなど、京都の貴族や武家と関わる寺院となった。義満の筆と伝えられる「常光寺」と書かれた扁額(へんがく)も残されている。

 河内音頭発祥の地とされ、流し節正調河内音頭が披露される地蔵盆踊りでも知られる。

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