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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(5)「公」を忘れた日本人へ 「くすのきさん」今も慕われ

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(5)「公」を忘れた日本人へ 「くすのきさん」今も慕われ

建水分神社。今も正成をしのぶ祭り「くすのきさん」が行われる=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影) 建水分神社。今も正成をしのぶ祭り「くすのきさん」が行われる=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)

 阪南大の和泉大樹・准教授はそう話す。「くすのきさん」は、道明寺天満宮(同府藤井寺市)の菜種御供大祭(なたねごくうたいさい)、叡福寺(同府太子町)の大乗会とともに、南河内の三大春事(はるごと)に数えられる。

 正成の没後680年たった今も親しまれている祭りは、正成の精神が今も慕われている証しである。=第1部おわり

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 この連載は岩口利一、川瀬充久、安本寿久、山上直子が担当しました。

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 ◆建水分神社

 古来、金剛山鎮守とされる神社。通称水分(すいぶん)神社。中殿に初めて天上界に現れたとされる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を祭り、左殿と右殿に4柱の水神を祭る。10代崇神天皇の御代に飢饉(ききん)に備えて、金剛葛城の山麓に水分神が祭られたことを起源とする。

 石段に「伊賀国住人服部藤右衛門尉」なる人物が文明19(1487)年、寄進を行ったと刻まれている。昭和30年代に伊賀で見つかった『上嶋家文書』の中の観世福田系図には、能楽の祖・観阿弥が伊賀出身で、母は「河内の楠木正遠(まさとお)の娘」と記され、河内と伊賀とのつながりをうかがわせる。

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