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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(5)「公」を忘れた日本人へ 「くすのきさん」今も慕われ

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(5)「公」を忘れた日本人へ 「くすのきさん」今も慕われ

建水分神社。今も正成をしのぶ祭り「くすのきさん」が行われる=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影) 建水分神社。今も正成をしのぶ祭り「くすのきさん」が行われる=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)

 岡山氏はさらに、楠木氏の勢力の強さは神社の造りにも表れていると言う。同神社は、本殿の中殿が春日造、左殿と右殿が流造(ながれづくり)という極めて珍しい構造になっている。

 「河内だけでなく、大和など広い地域から腕利きの宮大工を集められるほどの権力、財力を持っていた証しだと思います」

                   ◇

 延元元(1336)年、正成が戦死すると、その死を悼んだ後醍醐天皇の命で正成の像が作られ、同神社の境内に祭られた。天皇の跡を継いだ後村上天皇からは神号を授かり、境内には正成を祭る摂社・南木神社が今も鎮座する。

 延元5年には、正成の長男、正行(まさつら)が扁額(へんがく)を奉納している。

 〈同(延元)五年庚辰卯月八日題額草創之、左衛門少尉橘正行〉

 神社に保管されている木製の扁額の裏面には、正行直筆と伝わる文字が残されている。同神社と楠木氏の関係を示す記録は、正成の死後にも多くみられる。

 「神社はその土地そのもの。楠木氏が地元を愛し、地元から尊敬されたことがわかります」

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