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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(5)「公」を忘れた日本人へ 「くすのきさん」今も慕われ

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(5)「公」を忘れた日本人へ 「くすのきさん」今も慕われ

建水分神社。今も正成をしのぶ祭り「くすのきさん」が行われる=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影) 建水分神社。今も正成をしのぶ祭り「くすのきさん」が行われる=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)

 境内に響き渡る勇壮な和太鼓の演奏に続き、豊作を願って盛大に行われる餅まき。建(たけ)水分(みくまり)神社(大阪府千早赤阪村)の春祭「くすのきさん」のクライマックスである。

 祭日は4月25日。永仁2(1294)年4月25日とされる楠木正成の誕生日にちなんでいる。同神社は楠木氏の氏神。元禄15(1702)年に神社の縁起を記した『上水分宮(かみのみくまりのみや)略記』にはこんな記述がある。

 〈後醍醐天皇の御宇、楠正成公、山下の社を以て山頂に移し、神殿、仏閣、拝殿、弊殿、鐘楼、経蔵、楼門、衝門等を営造し…〉

 正成が、近くを流れる水越川のほとりにあった社殿を山上に移築し、寄進を行ったというのだ。元弘3(1333)年に記されたとみられる『西明寺文書』にはこう記されている。

 〈正成津のくに河内の聖跡、於ほく造営のくわたて候あひた、大用にめんし候て、代官職にて知行すへきよし申談たき子細候者也〉

 元弘3年は倒幕が成って正成が摂津守、河内守に任じられた年だ。その年に正成が、寺社の造営に熱心に取り組んでいたことが垣間見える。

                   ◇

 「建水分神社との深い関係は、楠木氏がこの地域の有力者で、水利権を握っていた可能性を示している」 同神社の禰宜(ねぎ)、岡山博美氏はそう話す。同神社は、大阪府と奈良県の境にある分水嶺(れい)、水越峠のふもとにあり、古くから水神として祭られた。「水分」とは文字通り、生活や農業用水を分配することを意味する。

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