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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(4)「公」を忘れた日本人へ 物流要衝、財力支えた誕生地

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(4)「公」を忘れた日本人へ 物流要衝、財力支えた誕生地

楠公産湯の井戸。地元の保存会が管理している=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影) 楠公産湯の井戸。地元の保存会が管理している=大阪府千早赤阪村(恵守乾撮影)

 「確たる証拠はないが、防御能力のある館なので正成の館と考えられる。輸入陶器も一般的に、物流を握っていたといわれる正成の館と推測させる」

 阪南大の和泉大樹・准教授はそう話す。千早赤阪村付近は、東は大和に抜ける峠道が通り、西は河内から和泉につながる。金剛山から西に流れる水越川は千早川と合流し、石川を経由して大和川に注ぐ。その先は大阪湾。海運や交易の中間点としてまさに、うってつけの土地が同村付近なのである。

 「陸路、水路の要衝に館や居城を持っていたことで正成には、大きな財力があったでしょうね」

                   ◇

 昭和55年に発行された千早赤阪村誌に、千早鉱山についての記述がある。水銀の原料となる辰砂(しんしゃ)の鉱床があり、かつて稼働していた鉱山である。

 〈黒栂(くろとが)の谷を中心に、数カ所に数キロに及ぶ坑道が残っている。水銀鉱山に勤務していた人々も村には在住していた〉

 水銀は中世には、仏像や仏具などのメッキのほか、顔料の朱の原料になった。 「正成は山城をたくさん造ったが、どこにも金剛山に逃げるルートがあったといわれる。それだけ山に通じているわけで、辰砂の採掘権も握っていたのではないでしょうか」

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