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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(3)「公」を忘れた日本人へ 信貴山、心と戦略の拠り所

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(3)「公」を忘れた日本人へ 信貴山、心と戦略の拠り所

信貴山朝護孫子寺所蔵の兜。正成が奉納したと伝わる=奈良県平群町(恵守乾撮影) 信貴山朝護孫子寺所蔵の兜。正成が奉納したと伝わる=奈良県平群町(恵守乾撮影)

 平群町教委の葛本隆将(たかゆき)学芸員はそう話す。北上すれば京も近い信貴山は後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良(もりよし)親王が兵を集めるなど南朝の拠点にもなった。南朝の中心人物、正成にとって、毘沙門天を祭る山は、心と戦略の拠(よ)り所だったのだ。

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 ◆信貴山朝護孫子寺 

 飛鳥時代に聖徳太子が像を祭ったことに始まると伝わる毘沙門天信仰の聖地。平安時代、この山で修行した命蓮(みょうれん)上人が醍醐天皇の病気平癒を毘沙門天に祈願。朝廟安穏、守護国土、子孫長久の祈願寺として「朝護孫子寺」の勅号が与えられた。

 戦国時代には山頂に信貴山城が築城された。松永久秀が城主の時、織田信長に攻められて落城し、寺も焼けたが、豊臣秀頼が再建した(寺伝)。現在の本堂は昭和33年建立。平安時代後期の信貴山縁起絵巻(国宝)は命蓮に関する説話を描いている。信貴山真言宗総本山。

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