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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(2)「公」を忘れた日本人へ 祖父の代、駿河から河内に

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(2)「公」を忘れた日本人へ 祖父の代、駿河から河内に

正成を祭る湊川神社。菊水紋がいたる所で見られる=神戸市中央区(恵守乾撮影) 正成を祭る湊川神社。菊水紋がいたる所で見られる=神戸市中央区(恵守乾撮影)

  楠木正成を祭神とし、真筆などゆかりの品約300点を収蔵する湊川神社(神戸市中央区)が発行する『大楠公』年譜に、こんな記述がある。

 〈正和四(1315)年 大楠公御父御逝去。御父の御名、正康、正遠(まさとお)、正澄(まさずみ)、正玄(まさはる)等諸説あり〉

 学芸員の役割を果たす神職が何人もいる同神社でさえ、正成の父の名が特定できないのだ。『太平記』には、楠木氏は橘諸兄(もろえ)の後裔(こうえい)と書かれているが、それを証明する資料は他にない。正成の祖先は謎に満ちていると言っていい。

 「だから悪党という評価が広まっているが、正成の生涯は決して悪党のものではない。皇室を敬い、敵を無用に殺さないところに相当の教養を感じます」

 同神社の垣田宗彦宮司はそう話す。

                   ◇  

 〈くすの木の ねハかまくらに成るものを 枝をきりにと 何の出るらん〉

 正成が鎌倉幕府の大軍を迎えて戦った千早城合戦のころ、都でこんな落首(らくしゅ)がはやった、と『後光明照院関白記』が記している。書き留めたのは後醍醐天皇の関白を務めた二条道平。

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