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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】武士から武将へ(2)「公」を忘れた日本人へ 名軍師の礎築いた学びの道

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【戦後71年 楠木正成考<第2部>】
武士から武将へ(2)「公」を忘れた日本人へ 名軍師の礎築いた学びの道

伝大江時親邸跡に残るしだれ桜。正成手植えと伝わる=大阪府河内長野市(恵守乾撮影) 伝大江時親邸跡に残るしだれ桜。正成手植えと伝わる=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)

 正成の「通学路」の途中に矢伏(やぶせ)観音の小さな祠(ほこら)がある。本尊は石像十一面観音で、立て札風の由来記にはこう書かれている。

 〈お祈りをしている時をねらって、敵は矢を射ました。が、その瞬間、一陣の風でお堂の扉が開いて矢を伏せ、多聞丸は難を逃れました〉

 多聞丸とは正成の童名。敵とは楠木氏と領地を接して宿敵関係にあった八尾(矢尾)顕幸ともいわれる。正成は、時親の元に通う際に観音詣でを欠かさず、このご利益があって生涯、観音信仰を持った、と伝承は続く。

 「正成にはこうした持仏伝承も多い。多くの人が、自分だけの正成像をつくり上げている証拠で、それだけ謎に包まれ、魅力的なのが正成という武将です」

 椋本会長はそう話す。

                   ◇

 ◆闘戦経

 国内独自では最古の兵法書。古代から朝廷の書物を管理してきた大江家が著したとされ、大江時親が楠木正成に教えた書ともいわれる。

 『孫子』の補助的兵書として書かれているため、戦術論は説かず、主に兵や将としての思想や精神などを説いている。時親の安芸下向で毛利元就の家系に伝わり、明治後は海軍兵学校に寄贈されて海軍大学校で講義に用いられた。大江家は別に、平安中期に唐からもたらされた中国兵家の陰陽書を和訳した『訓閲集(きんえつしゅう)』を管理し、大江軍学があったとされる根拠になっている。

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