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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(1)「公」を忘れた日本人へ 貫いた忠義と仁、失われた「心」戦後日本を象徴

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(1)「公」を忘れた日本人へ 貫いた忠義と仁、失われた「心」戦後日本を象徴

金剛山(手前)方面から眺める神戸・湊川方向。正成はこの畿内で活躍した=奈良県御所市(本社ヘリから、恵守乾撮影) 金剛山(手前)方面から眺める神戸・湊川方向。正成はこの畿内で活躍した=奈良県御所市(本社ヘリから、恵守乾撮影)

 いま1人は大饗正虎で、教養人として秀吉の右筆に用いられ、天下統一後の秀吉が後陽成天皇を聚楽第にお迎えした際、『聚楽第行幸記』を浄書している。

 〈時に今上皇帝十六歳にして御位に即せ給ふ。百官巾子をかたぶけ、万民掌を合せずといふ者なし〉

 正虎の文章は、正成が追い求めた、皇室を敬う理想の世を代弁しているようで面白い。

 武に長(た)け、文に通じた2人の末裔は、正成がどういう人だったかをうかがわせる。正成の生涯が現代に伝えるものは何なのか。この連載で、それを考えたい。

                   ◇

 ◆正成の活動範囲  

 河内に生まれ育ち、そこで鎌倉幕府の大軍を迎え撃った正成だが、活動範囲は近畿一円に及ぶ。

 後醍醐天皇に召された場は山城(京都府)の笠置。倒幕後、官軍として臨んだ戦場は摂津(大阪府と兵庫県)に多い。特に有名なのは桜井の駅(現大阪府島本町)。朝命を受けて寡兵で、足利尊氏の大軍討伐に向かう途中、嫡子の正行を河内に帰し、父に代わって天皇に忠節を尽くすよう説いた場所だ。

 〈青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ…〉

 その様子は、文部省唱歌『桜井の訣別』に歌われている。

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