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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】多聞誕生(1)「公」を忘れた日本人へ 貫いた忠義と仁、失われた「心」戦後日本を象徴

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【戦後71年 楠木正成考<第1部>】
多聞誕生(1)「公」を忘れた日本人へ 貫いた忠義と仁、失われた「心」戦後日本を象徴

金剛山(手前)方面から眺める神戸・湊川方向。正成はこの畿内で活躍した=奈良県御所市(本社ヘリから、恵守乾撮影) 金剛山(手前)方面から眺める神戸・湊川方向。正成はこの畿内で活躍した=奈良県御所市(本社ヘリから、恵守乾撮影)

  大阪府河内長野市の真言宗遺跡本山・観心寺。南北朝時代の武将、楠木正成が少年期に学び、首塚が残る同寺の前住職、永島龍弘長老は戦後、母校の校歌が忘れ去られたことが残念でならない。母校とは開校115年の歴史を誇る府立富田林高校。明治34年の開校と同時に作られた校歌の2番はこんな歌詞だった。

  

 千早城頭観心寺畔

 千古絶えせぬ菊花の香

 あゝ偉なるかな

 あゝ偉なるかな吾等の祖

 先

 いでや学生

 我も御国の男(お)の子なり

  

 千早城は、鎌倉幕府の大軍を散々苦しめた正成の居城。菊花の香とは、楠木氏の菊水紋を読み込んだものだ。河内に生まれ育ち、96代後醍醐天皇をたすけて幕府を倒した正成をたたえ、あやかろうとした歌詞なのである。戦後、新制高校になって女子生徒が入ってくると、この歌詞は敬遠され、1番のみが歌われた。昭和56年には2番と3番の歌詞が全生徒から公募され、正成を歌った2番は校歌から消えた。

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