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【西論】沈む日本経済とダブる女子マラ…大阪にラストチャンス

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【西論】
沈む日本経済とダブる女子マラ…大阪にラストチャンス

1回大阪女子マラソン(現大阪国際女子マラソン)。競技場を後に、外周道路へ向かうランナーたち=1982(昭和57)年1月24日、大阪市東住吉区の長居公園 1回大阪女子マラソン(現大阪国際女子マラソン)。競技場を後に、外周道路へ向かうランナーたち=1982(昭和57)年1月24日、大阪市東住吉区の長居公園

 リオデジャネイロ五輪の年だ。

 4年に一度の五輪年初頭を飾るビッグレース、大阪国際女子マラソンは1月31日(日曜)に号砲が鳴る。

 ◆第一歩はここから

 実は、この大会の五輪選手選考会ほど記憶に残るドラマが演じられてきたレースは、ほかにないと思っている。

 初めて女子マラソンが五輪に採用された1984(昭和59)年ロサンゼルス大会の選考会では、天才少女、増田明美がドイツの強豪カトリン・ドーレに立ち向かい、2位に入って五輪キップをもぎとった。

 次の88年ソウル大会のセレクションでは宮原美佐子ら3人すべてが大阪から。トラックの女王、松野明美がデビュー戦に選んだ92年バルセロナ大会の選考レースでは、小鴨由水が日本記録で優勝。松野が「わたしを(五輪に)選んで」と記者会見で訴えたことで、大きな話題を集めた。

 その後、2度は五輪代表を逃したが、2004(平成16)年には坂本直子が終盤、男子並みのスパートを見せてアテネ大会の出場権を獲得。そして、記憶に新しい4年前のロンドン大会の選考では、フルマラソン2度目の重友梨佐が優勝候補の福士加代子を下し、五輪の舞台へ飛び立った。

 記憶に残る「シンデレラストーリー」が大阪から生まれやすい理由は、スピードに自信のあるランナーが軒並みこの大会をデビュー戦に選ぶからだ。近くは福士がそうだし、赤羽有紀子、渋井陽子や高橋尚子、有森裕子といったそうそうたるランナーたちも初マラソンに大阪を選んでいる。この大会の歴史は、日本の女子マラソンを語るうえで、欠かすことのできないものなのだ。

 ◆世界とのものさし

 加えて大阪は日本の女子が世界のなかで自分たちの力をはかる、絶好の機会にもなっていた。

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