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【動画】天下人・豊臣秀吉の叱責生々しく…兵庫・たつの市で戦国末期の“命令書”33通見つかる

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天下人・豊臣秀吉の叱責生々しく…兵庫・たつの市で戦国末期の“命令書”33通見つかる

修復された秀吉の書状=21日午後、兵庫県たつの市(沢野貴信撮影) 修復された秀吉の書状=21日午後、兵庫県たつの市(沢野貴信撮影)

 兵庫県たつの市が平成26年に購入した史料に豊臣秀吉が重臣、脇坂安治に宛てた書状33通があったことが分かり、同市と東京大史料編纂所が21日、発表した。安治は秀吉が織田信長の後継争いで柴田勝家らと戦った「賤ヶ岳の戦い」で軍功を上げた7人の武将、「賤ヶ岳七本槍」の一人。書状には秀吉が天下統一を目指す時期の詳細な指示や厳しい叱責が記されていた。静岡大の小和田哲男名誉教授(戦国史)は「秀吉の天下統一に到る過程や初期の豊臣政権を考える上で非常に貴重な資料だ」としている。

 書状は、市が26年2月に購入した脇坂家文書群の中にあった。火災で一部が焼けるなど損傷が激しかったが、東京大史料編纂所が、約1年半かけて修復・解読作業を進めた。内容は秀吉の自筆ではなく、朱印が押されていた。天正、文禄年間(16世紀後半)の約10年間に出されたもので、多くは、脇坂安治に宛てて京都御所造営などの資材調達を頻繁に指示するもので、安治を叱責する内容もあり、家臣との関係性や秀吉の細かい性格がうかがえる。

 天正13(1585)年7月2日付の書状は、京都御所の造営について、戦場に出ることを望み、材木の調達がおろそかになっている安治に「相延ぶるにおいては曲事たるべく候(完成が遅くなることは、決して許されない)」と、強い言葉で叱責している。

 また、同年8月13日付の書状では「秀吉に逆らったものをかくまうのは、許されないことで厳しく処罰する」などと厳しくいましめる文言もあった。

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