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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】(23)「海ゆかば」を世に…晩年まで歩みたゆまず、後進育成も

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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】
(23)「海ゆかば」を世に…晩年まで歩みたゆまず、後進育成も

復員してしばらく信時家に下宿していた石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)恒夫。その後も親交は続いた(平成15年撮影)

 芸術の道を行く者は、生涯その旅をやめることはないものだ。

 日本を代表する作曲家であり、官立の東京音楽学校の教官という立場もあって、戦前、戦中は作曲依頼が絶えなかった信時潔(のぶとき・きよし)。昭和12(1937)年に日本放送協会の依頼で作曲した「海ゆかば」、15年に皇紀2600年の奉祝曲として作った「海道東征」は、結果的に当時の国家の意図をくみ取る曲となっていった。

 戦後、信時はこういった作品を後悔して、活動を控えたと指摘されることもあるが、それは真実とは異なる。芸術家としての歩みは決してたゆまず、公の場にも姿はあった。

 「晩年まで作品は作り続けましたし、特に次世代の作曲家との交流は公私ともに活発で、若い作曲家の作品に意見することもありました」。信時の作品目録作成や関連資料の整理、情報収集を行い、研究を続ける孫の信時裕子さんは話す。信時の旧制市岡中学時代の友人、石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎の息子で、作詞家・作家の石●恒夫もまた、信時に影響を受けた若い世代だった。東京帝国大学在学中に学徒動員で召集され、復員した恒夫に「下宿がないのなら、うちへいらっしゃい、離れが空いてますから」と信時が声をかけた。戦後間もない時代、信時家には3人の子供がいて食糧不足も厳しかったはずだが、前途有望な青年の将来をほうっておけなかったのだろう。

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