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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】(15)東京時代の信時と小出…芸術家の卵、互いに刺激を受けて

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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】
(15)東京時代の信時と小出…芸術家の卵、互いに刺激を受けて

小出楢重が石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎に送った自画像。市岡中学校卒業後も信時や石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)との交流は続いた(大阪市史編纂所提供)

 信時潔(のぶとききよし)の東京音楽学校入学後、旧制市岡中学校の同級生で後に洋画家となる小出楢重(ならしげ)も20歳で東京美術学校に入学した。上京した人間が同郷の人間と親しくすることは一般的によくあることだが、大阪を離れた小出は当初、それをひどく嫌ったようだ。

 その原因はどうも、標準語へのコンプレックスにあった。小出は随筆「大阪弁雑談」で、大阪弁は浄瑠璃を語る際の標準語でしかなく、そのほかについてはうっかりとものがいえないとし、「持って生まれた言葉が偶然にもその国の標準語であったということは、何といっても幸せなことである」と記している。

 自然、同じ言葉をしゃべる人間ともろくに言葉を交えなかった。同郷の画家、鍋井克之からは「無口の上に、厭人思想かとも見えるほど、暗い気持ちに受け取れ、とても人ずきがしなかった」ように見えたという。(匠秀夫著「小出楢重」より)。しかし、信時潔や石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎ら、気心の知れた旧友には「本当の大阪弁」を使って思う存分話をしたという。

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