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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】(13)エンピツを倒して決めた? 東京音楽学校の受験…上京“広い舞台”へ

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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】
(13)エンピツを倒して決めた? 東京音楽学校の受験…上京“広い舞台”へ

 日本近代洋楽の父といわれ、多くの後進も育てた信時潔(のぶとき・きよし)だが、大阪の旧制市岡中学時代は、画家になろうか、作曲家になろうか、それとも法律家になろうかと思案したらしい。

 市岡の同級生だった石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎の息子、恒夫に語ったところによると…。信時少年は、紙に円を描いて中心に鉛筆を置き、三方にそれぞれ、画家、作曲家、法律家と書いたうえで、鉛筆を倒した。そうすると作曲家の方向に倒れたから、作曲家になった…などと、冗談ともつかない話も残っている。

 信時は戦後、武者小路実篤が提唱して結成されたグループの雑誌「心」(昭和23年創刊)の同人となり、寄稿したり、座談会に出席したやりとりが載ったりもした。昭和32年9月号では、「問はれるまゝに」というタイトルで、インタビューに応じて自らの生い立ちや音楽活動を語る記事が掲載されている。

 そこで信時は、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)受験のきっかけについてこう話した。

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