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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】(8)「市岡の絆」が支えた同期生の画家、小出楢重

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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】
(8)「市岡の絆」が支えた同期生の画家、小出楢重

「金鉄会」のメンバーらを描いた小出のカリカチュア。上段右から2番目に信時が描かれている(大阪市史編纂所提供) 「金鉄会」のメンバーらを描いた小出のカリカチュア。上段右から2番目に信時が描かれている(大阪市史編纂所提供)

 大正期の洋画の名作「Nの家族」や、裸婦を数多く描いたことで知られる画家の小出楢重(ならしげ)(1887~1931年)。信時潔(のぶとき・きよし)の旧制市岡中学の同期生である。

 小出は、大阪市南区長堀橋筋一丁目(当時)の薬屋の長男として生まれた。北は長堀川、南は道頓堀川、さらに西横堀川と東横堀川に囲まれ「島之内」と呼ばれた地域である。船場とともに大阪の中心をなす問屋街で、屋敷は約120坪ほどある比較的大きな商家だった。

 父、楢治郎は書や日本画をたしなみ、浄瑠璃を語る-という商家の旦那の典型のような男。母、モンも三味線を弾いた。小出の身近には常に上方の上質な文化があったのだ。

 「床の掛物が学校教育よりも私自身により多く作用したことは恐るべきものである」

 小出自身が随筆「新秋雑想(しんしゅうざっそう)」で記したように、絵画へのまなざしは、生まれついた家庭環境のなかで養われたことがわかる。

 大阪市立大宝尋常小学校、同市立育英高等小学校を経て、市岡中学に入学した小出。数学の成績は「落第するほど」だったが、図画はダントツトップの成績だったという。このころには、絵の道に進むことを決め、明治40(1907)年に東京美術学校へ進学する。

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