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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】(12)東洋史学大家・石濱にして「ほんまもんの芸術家は小出、信時や」

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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】
(12)東洋史学大家・石濱にして「ほんまもんの芸術家は小出、信時や」

東洋史、東洋言語学で名を残した石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎。市岡中学で信時潔と出会った 東洋史、東洋言語学で名を残した石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎。市岡中学で信時潔と出会った

 信時潔(のぶとききよし)の市岡中学時代を語るとき、もう一人、欠かせない人物がいる。東洋史学、東洋言語学で名をはせた石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)純太郎(1888~1968年)だ。

 石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)は大阪・船場の薬種商として成功を収めた家に生まれ、幼少期を淡路町で過ごした。同じ薬屋の生まれである小出楢重の画業を友人として支え、信時とは、戦後に息子の恒夫を居候させてもらうほどの間柄だった。

 実は、小出が東京美術学校卒業後にヨーロッパ留学したさい、同時期に独留学していた信時と邂逅(かいこう)していた。その様子が今よく分かるのも、石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)が学者らしく小出からの書簡を丁寧に残していたからだ。

 その石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)は、もはや死滅したものも含めて数十カ国の国の言葉の読み書きができたとされる東洋史学の大家になった。「西域に目を向けるようになったのは、やはり市岡中学時代ではなかったか」と話すのは孫で、元なにわの海の時空館名誉館長の石●(=さんずいにウかんむりに眉の目が貝)紅子さんだ。

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