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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】(1)神座しき、蒼空と…「この曲は必ず残る」、昭和37年歴史的“再演”

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【海道東征を紡ぐ 信時潔物語】
(1)神座しき、蒼空と…「この曲は必ず残る」、昭和37年歴史的“再演”

交声曲「海道東征」を作曲した信時潔。日本近代音楽の黎明期に音楽界を牽引した(信時裕子さん提供)

 「海道東征は今後も残ると思ふ」-。

 確信とともにその一文を書いたとき、信時潔(のぶとき・きよし)の心には静かな満足感が広がっていた。

 かみましき、あおぞらとともにたかく-。 

 〈神座しき、蒼空と共に高く〉

 昭和37年1月3日。信時が作曲した交声曲「海道東征」は新年の祝賀ムードそのままに、ラジオの電波に乗って津々浦々に流れた。神武天皇即位を紀元とする皇紀2600年を祝って作り、戦後は久しく上演されることがなかった大曲の“再演”だ。これは、音楽界にとってもちょっとした事件だった。

 放送されたのは大阪・朝日放送の正月用ラジオ番組である。それに先立ち、年末に東京文化会館で行われたリハーサルに、74歳になる直前の信時も立ち会っていた。現場にいれば関わらずにはいられない。信時は初演でもバリトンを務めた中山悌一の独唱に満足し、小学生のわらべ歌は「見事」と激賞した。何よりうれしかったのは、関係者がみな好意的かつ熱心に取り組んでくれたことだった。

 この曲は必ず残るとの信念はあったが、「今日の通演で、それが少しも動揺しなかったことは満足だ」とも書き残す。実のところ、20年以上前に完成させた「海道東征」は当時としては精いっぱいの力を出し尽くした作品だったのだ。

 思い起こせば、音楽家としての出発点は、京都や大阪の教会で過ごした少年時代にあった。友と自由を謳歌(おうか)し音楽を志した旧制市岡中学時代は、風貌からか、信時ならぬ「野仏さん」とあだ名されたことも懐かしい。東京音楽学校、そしてドイツ留学と、来し方を振り返れば、いつもそばに音楽があったと思う。

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