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ニューヨークの下町で、界隈の日常を取り仕切っているような、界隈の子供たちの名付け親になっているようなアフリカ系のオバサン。料理上手で、そして歌が抜群に上手い。そんな人がほんとにいるのかどうか知らないが、まあ、そういうイメージの人物を思い浮かべていただけば良いのではないかと思う。大西ユカリ。風貌ではなく、存在感が。
音楽的な分類ではソウルとかゴスペルが「本籍」になっているはずだが、昭和歌謡や演歌を歌っても実にしっくりくる。どちらもできる、というのではなくて、それら全部が渾然一体となっているのが大西ユカリの歌の魅力だ。
そして、とにかく上手(うま)い。演歌やゴスペルでふつう「上手い」と思わせるのは、歌そのものの上手さ以上に、演歌特有の、あるいはゴスペル特有の歌い方、いわばお化粧の仕方にある。しかし、本当に上手い歌い手は、案外「上手いな」とは感じさせないものだ。
そういう意味で彼女は本当に上手い。ところが、そのカッコよい歌の合間のおしゃべりが、これが同じ人かと思うほど泥臭い「大阪のオバチャン」そのものなので、全体像としては「近所の、料理も上手いけど歌もメチャクチャ上手いオバチャン」というイメージになってしまう。
しかし、音楽というのはこうあるべきではないか、と思わされるのだ。生活という大地から栄養も毒も全部吸い上げて、それが分厚い花を咲かせる。促成栽培や水耕栽培みたいな音楽が溢れる中、この力強さはとても貴重な魅力だと思う。




