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【福嶋敏雄の…そして、京都】(39)赤染衛門 「やまと心」の母…実は「大和魂」も単に女心の意味 嵯峨野 法輪寺

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【福嶋敏雄の…そして、京都】
(39)赤染衛門 「やまと心」の母…実は「大和魂」も単に女心の意味 嵯峨野 法輪寺

法輪寺の門前=京都市西京区

 「赤染」は父方の姓、「衛門」は父親の職名である。清少納言や紫式部、和泉式部もそうだったように、当時の女房には公的な名前はなかった。

 赤染衛門は藤原道長の室、倫子につかえた。歌人としては多作だったが、同時代の清少納言ら先の3人の女房にはおよばなかった。それでも「百人一首」には、

 「やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな」

 という歌が採用されている。あなたが来ないのを知っていたら寝てしまったのに、来ると思ってずっと待っていたら西に傾く月を見てしまった--といったほどの意味で、他愛のない歌意である。

 取りあげたいのは、夫で当代最高の文章博士であった大江匡衡(まさひら)との間で遣り取りした俳諧歌である。匡衡が「はかなくも思ひけるかなちもなくて 博士の家の乳母せむとは」と詠んだのに対し、こう返している。

 さもあらばあれやまと心しかしこくば ほそぢにつけてあらすばかりぞ

 ふたりの間に子供ができたので乳母をやとった。だがあまりかしこい乳母ではないと思ったので、匡衡は学者の家の乳母にしては「知」もないと揶揄(やゆ)した。

 これに対し、赤染衛門は「やまと心」さえしっかり持っていれば、「ほそぢ」、つまり細い知でもいっこうにかまわないと反論した。

 いまも意味を持つのは、この歌が「やまと心」というコトバの初出だからである。その後、紫式部は「源氏物語」のなかで、同じ意味で「やまとだましひ」というコトバを使った。

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