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【歴史事件簿】道鏡の深謀遠慮 女帝と“ねんごろ”になり破格のスピード出世、一介の僧が「太政大臣」に上り詰める(第二部上)

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【歴史事件簿】
道鏡の深謀遠慮 女帝と“ねんごろ”になり破格のスピード出世、一介の僧が「太政大臣」に上り詰める(第二部上)

一介の僧侶から法皇になった道鏡(護王神社の「御祭神絵巻」から)

 行幸(ぎょうこう)先の近江・保良宮(ほらみや)で病を患った奈良朝の女帝・孝謙(こうけん)上皇の前に一介の僧の道鏡(どうきょう)が出現したことで、朝廷は動揺する。誰も手がつけられない心の病を祈祷(きとう)で治し、上皇に気に入られた末、政権の中枢に躍り出てきたためだった。女帝は道鏡の政敵、恵美押勝(えみおしかつ)を倒して再び天皇に即位すると今度は押勝の後任として、道鏡に太政大臣の就任を要請する。出会いからわずか4年。この異常なまでのスピード出世の背景にあったものは。

生涯独身

 聖武天皇(後の上皇)と光明皇后(後の皇太后)の間に男の子が育たなかったことから娘の阿倍内親王(ないしんのう)が女性の皇太子となり、天平宝字2(749)年8月、天皇に即位する。これが孝謙天皇である。

 女性の天皇というと、これ以前にも持統(じとう)天皇や元明(げんめい)天皇のように、天皇あるいは皇太子の妻が即位するケースはあったが、天皇の娘が皇太子となり即位する例は初めてだった。

 この場合、皇室の男系を維持するために孝謙天皇は後々にわざわいの種を残さないように独身を貫き、子供をもうけないなどの必要があり、本人も覚悟の上での即位だった。

 そんなとき、天皇の父・聖武上皇は死の直前の天平勝宝8(756)年、政界きっての実力者、藤原仲麻呂(なかまろ)(のちの恵美押勝)を呼ぶと、天皇の後継ぎである皇太子として道祖(ふなど)王をあてることを言い残して亡くなる。

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