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【銀幕裏の声】「大魔神」から「吉原炎上」まで 5分間の3D短編に込められた“信念” 森田富士郎撮影監督追悼(上)

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【銀幕裏の声】
「大魔神」から「吉原炎上」まで 5分間の3D短編に込められた“信念” 森田富士郎撮影監督追悼(上)

「吉原炎上」(昭和62年公開)の撮影現場で、五社英雄監督(右)と打ち合わせをする森田富士郎撮影監督(森田さん提供)

 高倉健さんに菅原文太さん…。昨年、銀幕のスターが相次いで亡くなった。一方で、平成ゴジラの生みの親、川北紘一特技監督ら日本映画界を陰で支え続けた名職人たちが亡くなっている。その一人が森田富士郎撮影監督。「大魔神」などの特撮から「吉原炎上」などの時代劇まで数多くの邦画の傑作を手掛けてきた重鎮だ。京都・太秦に生まれ、大映京都でカメラマンとなり、息を引き取るまで京都を愛した。亡くなる約1年半前、自宅近くで取材した。デジタル技術にも詳しく「今、3D映画の撮影を計画中なんですよ」と意欲を見せていた。弟子のカメラマンたちが「あの取材が最後のロングインタビューでした」と教えてくれた。(戸津井康之)

邦画“全盛期”支えた名職人…飽くなき探究心

 「富士フイルムなど大手が相次いで映画撮影用の35ミリフィルムの生産中止を発表。デジタル技術の進化でフィルムが消えようとしている現実を、映画人としてどう思いますか?」

 森田さんに質問すると、「フィルムにこだわる必要はありません。デジタル映像は進化しており、観客が映画を見て違和感がなければフィルムでもデジタルでも、それは問題ではないのです」と毅然と答える姿が印象的だった。

 昭和2(1927)年に京都市内で生まれ、22年、大映京都撮影所に入所。「透明人間現わる」(24年)などで、“特撮の神様”と呼ばれた円谷英二の助手を務め、撮影技術を磨いた。

 アイデアマンで、合成マスクやストロボ撮影などの手法をいち早く開発。森田さんが米ハリウッドのブルーバック(ブルースクリーンの背景を使った合成手法)を独学で研究し、その結果、生まれたのが日本特撮の傑作といわれる「大魔神」(41年)だ。研究熱心だった森田さんが次々と開発した撮影技術は、その後の日本映画界に多大な影響を与えた。

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  • 「大魔神」から「吉原炎上」まで 5分間の3D短編に込められた“信念” 森田富士郎撮影監督追悼(上)
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