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【神武・海道東征】イワレビコ誕生(1)文明伝播 国を豊かにする旅

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【神武・海道東征】
イワレビコ誕生(1)文明伝播 国を豊かにする旅

復元された神武の荒御魂(武人)像(写真中央)。楯から八咫烏が消えている=宮崎市(恵守乾撮影)

 宮崎市の高台、平和台公園に「平和の塔」が建っている。神事で用いる御幣の形に模して石柱を連ね、高さ36・4メートル。昭和15(1940)年、皇紀2600年を記念して建てられ、十銭紙幣に描かれるほど親しまれた。

 戦前は名称も異なった。「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」。カムヤマトイハレビコノミコト、後の初代神武天皇が日向から東征し、大和に橿原宮を造営した際の言葉が基になっている。

 「六合(りくがふ)を兼ねて都を開き、八紘(はちくぉう)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(な)さむこと、亦可(またよ)からずや

 日本書紀にそうある。四方の国々を統合して都を開き、天下を覆ってわが家とすることははなはだ、よいことではないか、という国造り宣言である。

 この故事に基づいて、塔の四隅には神武の4面性を示す像が配された。荒御魂(あらみたま、=武人)、和御魂(にぎみたま、=商工人)、幸御魂(さちみたま、=農耕人)、奇御魂(くしみたま、=漁人)である。このうち荒御魂像は終戦で削り取られた。軍国主義を憎んだGHQの指示だった。

 荒御魂像は昭和37(1962)年、市民らの要望で復活した。ただ、大切な故事が抜けていた。像が持つ楯に描かれていた八咫烏(やたがらす)が、鳥とも鶏とも見える不思議な絵に変わっていたのである。

 「3本足ではないので、八咫烏ではないことは間違いない。復元に当たった職人が、東征の故事を知らなかったためのミスです」

 塔の案内をする宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会の湯川英男副会長はそう話す。八咫烏は、イハレビコを熊野から大和まで導いた高天原(たかまがはら)の使いで、今でも日本サッカー協会のシンボルになっている。この故事さえ知らない日本人が増えたことを、新たな像は示している。

 「東征は実は軍事行動だけではなく、3つの文明・文化を伝播(でんぱ)する旅でした。稲作と鉄器、そして灌漑(かんがい)技術です」

苦難の旅、民衆と葛藤、敵対者や援助者…国作りの王道、明治維新と同じ

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