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【衝撃事件の核心】テロリストの母は「他のやり方を考えれば…」と反省を口にしていた…娘が見た日本赤軍の女王「重信房子」の“素顔”

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【衝撃事件の核心】
テロリストの母は「他のやり方を考えれば…」と反省を口にしていた…娘が見た日本赤軍の女王「重信房子」の“素顔”

日本赤軍最高幹部、重信房子氏の娘、メイ氏。潜伏生活だった母親とは一緒に暮らせなかったが「反抗期はなかった」という。「今になって思うと、それどころじゃなかったんでしょうね。そんなことをしていたら、誰かを危険にさらすかもしれないと思っていましたから」と語った 日本赤軍最高幹部、重信房子氏の娘、メイ氏。潜伏生活だった母親とは一緒に暮らせなかったが「反抗期はなかった」という。「今になって思うと、それどころじゃなかったんでしょうね。そんなことをしていたら、誰かを危険にさらすかもしれないと思っていましたから」と語った

 母親が無差別テロを行った集団のリーダーと見られていることには、「一方的な見方しかされていない。なぜそういうことをしたのか。当時の時代背景などもあわせてみないとフェアじゃない」と語気を強めた。

 潜伏生活を送っていた母親とは幼い頃から一緒には暮らせなかったというが、一定期間ごとに、母子が向き合う時間も取れたそうだ。

 メイによると、重信は「なぜ自分たちのことをこんなに隠さなくてはならないのか」と聞く娘の疑問にも丁寧に答えていたという。また、重信が一連の事件を振り返り、「ほかのやり方があったら良かったし、手段を考える機会をもった方が良かった」と反省の言葉を口にしたこともあったという。

世界革命目指し中東へ

 重信は、1970年代、日本の新左翼グループの中でも、最も過激な集団といわれた「赤軍派」に所属していた。

 赤軍派は当時、世界革命を目指すため、世界各地に国際根拠地を建設する必要がある-との方針を掲げていた。これを受け、田宮高麿らは70年3月、よど号ハイジャック事件を起こし北朝鮮へ。一方、重信は71年2月にパレスチナに向けて出国した。

 国内では過激派として警察当局から徹底的にマークされていた重信だったが、メイによると、重信ら過激派グループが中東に入った当初は現地の日本人コミュニティとも親しくしていたといい、「日本大使館の外交官たちと一緒に野球大会をしたこともあった」という。

 ただ、重信たちが海外にあっても潜伏生活を送らざるをえなくなる事件が起きる。72年5月に起きたイスラエル・テルアビブの空港乱射事件だ。

 事件では、奥平剛士、安田安之、岡本公三の3人のメンバーが、ロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)の旅客ターミナルで銃を乱射するなどし、民間人ら100人以上が死傷する事態となった。奥平と安田は自殺、岡本は逮捕されたが、この事件をきっかけに、重信らは潜伏生活に入ることになったという。

母らの起こした空港乱射事件…「いま風に言えばSNSですよ」…

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