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【関西歴史事件簿】佐久間象山の暗殺(上) 白昼メッタ刺し、斬首…攘夷派の「憎悪」誘発した“開国攘夷派・象山”の「とんでもない計画」

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【関西歴史事件簿】
佐久間象山の暗殺(上) 白昼メッタ刺し、斬首…攘夷派の「憎悪」誘発した“開国攘夷派・象山”の「とんでもない計画」

 ペリー率いる米艦隊が浦賀に来航して以来、世論が開国か、外国を打ち払う攘夷(じょうい)かで揺れていた元治元(1864)年7月11日、京都・木屋町で開国派の兵学者、佐久間象山が白昼、数人の男に刺されて死亡する事件が起きた。開国派が攘夷派に狙われたという当時としてはお決まりの構図のようにも思えるが、その中には象山のとんでもない計画への阻止行動という意味合いも強く含まれていた。その計画とは-。

 西洋かぶれ

 暑い夏の日だった。

 象山はこの日の朝、宮家創設間もない山階宮(やましなのみや)に自ら策定した開港の勅許案を説明するために木屋町御池の宿所を出ると、京都御所の南西角にある閑院宮(かんいんのみや)邸を訪ねる。

 そのあと、いったん南に向かって、知り合いの本覚寺(富小路五条)に立ち寄り、それから宿所へ戻るため寺町通を北上してしていた。

 象山は開国派とはいってもただ外国に追従するだけではなく、外国の先進技術を学びながら国力をあげたのち、列強の仲間入りを果たすといった、他の開国論者とはひと味違う、いわば開国攘夷論者だった。

 とはいえ、当時の江戸幕府第14代将軍、徳川家茂(いえもち)の要請で3月に江戸から上洛したとき、洋装で様式の鞍(くら)を付けた白馬にまたがる象山の姿は、攘夷論者にとっては西洋かぶれの腑抜(ふぬ)けに見えたのだろう。

 この前年、攘夷派の公家や長州藩士らが京都から一掃されると、報復として開国論者が攘夷派に狙われて命を落とす事件が多発する状況下、朝廷や幕府要人らに開国を説く象山が攘夷派の刺客に狙われる確率はかなり高かった。

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