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【河内幻視行】楠木正成の菩提寺「観心寺」にある“夢の途中”

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【河内幻視行】
楠木正成の菩提寺「観心寺」にある“夢の途中”

 地理的にも、空海が開いた高野山と京をむすぶ中間点にある。高野山造営のおりには、なんども立ち寄ったのであろう。

 この寺は、南河内一帯の社寺に散見する南朝や楠木正成ともゆかりがあった。「ゆかり」どころか、正成が幼いころ、学んだ学問所があり、その首塚もある。

 金堂を出て、右手の台地状の境内を行くと、後村上天皇の陵にいたる山道がある。後村上天皇は南朝を築いた後醍醐天皇の皇子で、北朝に追われ、晩年はこの寺ですごした。

 さらに行くと、楠公の首塚があった。竹の柵で囲まれているため、近づけなかったが、小山の上にぽつんと立つ鎌倉様式の五輪塔はいやにちいさい。見たかぎり、高さは1メートルほどしかない。

 兵庫・湊川で足利尊氏にやぶれ、自害した正成の首級(しるし)が、なぜここにあるのだろうか。

 『太平記』によると、正成の首級はいったんは京の六条河原にさらされた。「疑(ウタガヒ)ハ人ニヨリテゾ残リケルマサシゲナルハ楠ガ頸」という狂歌が添えられていたというから、正成の首級かどうかを疑うものもいたらしい。

 だが尊氏は、敵ながらアッパレな最期をむかえた正成の首級をさらすのはふびんだと思ったらしい。「残された妻子もきっと見たいであろう」と、河内国に送りかえし、観心寺に葬られた。

 首塚からもどる途中、平屋建てのお堂のような建物に行きあたった。「重要文化財 建掛塔」とあったが、もちろん「塔」ではない。屋根にはぶあついカヤが葺かれていた。

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