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【河内幻視行】楠木正成の菩提寺「観心寺」にある“夢の途中”

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【河内幻視行】
楠木正成の菩提寺「観心寺」にある“夢の途中”

 この決まりは厳密に守られているらしく、白洲も、『百寺巡礼』でこの寺を訪れた作家の五木寛之も拝観できなかった。

 観心寺は奥河内の山間部にあるから、御開帳の日は、おそらく桜の季節とかさなっている。桜をながめたあとの華やぎのうえに、この観音像のなまめかさがかさなったとき、その陶酔の度合いはいっそう増すのであろう。

 と思いつづけながら、閑職にあり、いつもヒマなのに、「4月17、18日」がちかづくと、ケロリと忘れてしまう。

 観心寺(大阪府河内長野市)は奈良・五條に抜ける街道(国道310号)沿いにある。背後は深々とした山々につつまれ、街道をはさんだところには、ほとんど渓谷といってもよさそうな石見川が流れている。

 連載でも取りあげた弘川寺や高貴寺などと同じように、葛城・金剛山系にある諸寺はたいていは役行者(えんのぎょうじゃ)が開祖で、やがて弘法大師空海が再興するというパターンである。観心寺も同じだ。

 南河内の山麓一帯に空海が再興した諸寺が多いのは、もちろん理由がある。大同元(806)年、33歳のとき、唐から膨大な量の仏典や仏具を持ちかえった空海は、京に入るまえ、南河内に隣接する和泉国の槙尾山寺(まきのおさんじ)に住んでいたからだ。

 持ち前の行動力を発揮し、河内の山野を跋渉(ばっしょう)し、朽ち果てた役行者の造ったお堂などをつぎつぎと再興していったのであろう。観心寺の寺伝によれば、当初は雲心寺という名前だったが、空海は観心寺とあらためたうえ、弟子の実恵が天長4(827)年に造営した、とある。

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