ノーベル賞湯川博士の終戦前後の日記見つかる 原爆研究に関与の記述も

沈黙の科学者
湯川秀樹博士(昭和24年撮影、湯川家提供)

 昭和24年に日本人で初めてノーベル賞を受賞した物理学者、湯川秀樹・元京都大教授(1907~81年)が終戦前後に書き残した日記が見つかり、京大が21日発表した。湯川博士は原爆研究への関与を公的な場では認めていなかったが、日記には終戦前に「F研究」と呼ばれた原爆研究に関与していたことなどを記載。これまで明らかになっていなかった博士の当時の心情をうかがい知る貴重な資料となりそうだ。

 公表されたのは昭和20年1月1日~12月31日分の日記が記されたノート3冊で、京大理学部の戸棚から発見。戦中には海軍の依頼で京大の物理学者らが原爆研究に動員されたが、6月23日付には「F研究 第一回打ち合わせ会 物理会議室にて」と記され、同僚らと出席したとの記述がある。

 広島に原爆が投下された翌日の8月7日付には「(新聞社から)広島の新型爆弾に関し原子爆弾の解説を求められたが断る」とあり、複雑な心中をうかがわせる。戦後の9月には広島と長崎の原爆死傷者数などを詳細に記している。

 博士は9年、ノーベル物理学賞受賞につながる中間子論を発表。終戦後しばらくは沈黙を守り、核兵器の廃絶などを目指した平和運動に携わった。日記は京大湯川記念館史料室のホームページで公開する。