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【オリンピズム】“トビウオ”とその時代(12)遠かった五輪メダル

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【オリンピズム】
“トビウオ”とその時代(12)遠かった五輪メダル

ヘルシンキ五輪開会式で、満員のスタジアムを入場行進する日本選手団。古橋は主将を務めた=1952年7月 ヘルシンキ五輪開会式で、満員のスタジアムを入場行進する日本選手団。古橋は主将を務めた=1952年7月

 最盛期のころとは違った環境にも置かれていた。社会人2年目。入社後は午後3時まで仕事をこなした。大学卒業を前に、東京都世田谷区に自宅を構えた。知人から借金をし、金融機関からも融資を受けた。浜松から体調を崩していた父親と6人の弟妹を引き取るためだった。

 五輪に向けて練習に集中できるようにと、大学院進学を勧める人もいた。資金援助を申し出てくれる人もいたという。また、就職に際し映画会社や大手製鉄会社からの“好待遇”も振り切った。「水泳と関係のないところへ行こうと決めていたし、大学で水泳はやめようと思っていた」からだ。そして大同毛織への入社は会社側から「フジヤマのトビウオという名声が欲しいのではない。そこまで努力した古橋が必要なんだ」と言われたことが決め手になったという。そんな古橋の姿を、橋爪四郎は「長男としていろんなものを背負い込んでいたんだと思う」と感じていた。

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