産経ニュース

【月刊パラスポーツ】ボッチャ「火の玉ジャパン」のエース・広瀬 20年東京は金メダルで恩返し

スポーツ スポーツ

記事詳細

更新

【月刊パラスポーツ】
ボッチャ「火の玉ジャパン」のエース・広瀬 20年東京は金メダルで恩返し

リオ大会でプレーする広瀬。東京パラリンピックでは頂点を目指す=昨年9月、リオデジャネイロ(蔵賢斗撮影) リオ大会でプレーする広瀬。東京パラリンピックでは頂点を目指す=昨年9月、リオデジャネイロ(蔵賢斗撮影)

 運動機能に重い障害がある人のために考案されたボッチャ。リオデジャネイロ・パラリンピックで史上初の銀メダルをチームで獲得し、競技の知名度を一気に広めた「火の玉ジャパン」(日本代表チーム)のエース広瀬●(=隆の生の上に一)喜(市原ボッチャクラブ)は、2020年東京大会を「集大成」と位置づける。「本当に多くの支えがあって競技ができている」。両親や周囲へ抱く感謝の気持ちを「金メダル」で応えようと、地道な鍛錬を重ねる日々だ。(西沢綾里)

 先天性の脳性まひで、生まれつき両手足が不自由だが、幼いころから体を動かすことが大好きだった。中学3年のとき陸上競技用の車いすと出会い、高校では車いすの短距離で国体に出場。高校卒業間近にこのまま陸上を続けるか、新たなスポーツに挑戦するか迷っているときに、体育教諭に「ボールを投げる力が強いから」と勧められたのがボッチャだった。

 2、3手先を読み合う将棋のような頭脳戦に、ボールを1ミリ単位で操る高い技術が求められる。戦況が目まぐるしく変わり、逆転につぐ逆転になることもある勝負の世界の奥深さに魅了された。競技人口の少なさもあって競技歴2年で国際大会に出場。日本選手権では個人で歴代最多6度の優勝を誇るエースに成長した。

 それでもパラリンピック初出場の08年北京大会では「何もできなかった」と、チーム戦で10位、個人でも14位。12年ロンドン大会ではチーム戦7位と、世界との差を痛感させられた。転機となったのは15年シーズン。国際大会で表彰台に上がり、優勝も経験した。20年東京大会の開催が決まり、16年リオ大会に向けて「ここでメダルを取らなければ」と一念発起し、国内ではライバルとなるメンバーの強みや弱点、癖を徹底分析。個々の技術を丸裸にして「言葉で言わなくてもやりたいことが分かる」ほど、チームワークを磨いたことも大きかった。

続きを読む

「スポーツ」のランキング