産経ニュース

リオでメダル4個 パラ競泳のエース、木村敬一選手がイメージする東京大会

スポーツ スポーツ

記事詳細

更新


リオでメダル4個 パラ競泳のエース、木村敬一選手がイメージする東京大会

 パラアスリートの本音や人物像に迫る「フジテレビPARA☆DO!トーク×ライブ supported by 日本財団パラリンピックサポートセンター」が15日、東京・赤坂の日本財団バウ・ルームで開かれ、11回目の今回は2016年リオデジャネイロ・パラリンピックの競泳(視覚障害)で4個のメダルを獲得した木村敬一選手(26)=東京ガス=をゲストに迎えた。木村選手が技術指導を受ける日大文理学部の野口智博教授は、司会の田中ウルヴェ京さん(ソウル五輪シンクロナイズドスイミング銅メダリスト)と日大文理学部の同期生という縁もあり、トーク×ライブは大いに盛り上がった。

 木村選手(左)と会場を盛り上げる司会の田中さん

 リオ大会では50メートル自由形で「銀」、100メートル平泳ぎで「銅」、100メートルバタフライで「銀」、100メートル自由形で「銅」と、エースとして4個のメダルをつかんだ木村選手。レース後に「4つのメダルより、1個の金メダルが欲しかった」と悔しがる姿が印象的だったが、この日は周囲の選手が語るエピソードで意外な一面が次々に明らかにされた。

 その一。お化け屋敷に行った際、「ぼくは指を鳴らした反響で空間を把握できる」と豪語しておきながら、実はお化け屋敷が大の苦手で、大きな音におそれおののき、展示物や道なき道へ突入し、結局は一緒にいった他選手が木村選手を先導した─。

 その二.自身がファンである女優の広瀬すずさんからもらったビデオメッセージを合宿中に繰り返し聴いていたが、動画を再生しすぎてパソコンが壊れてしまった─。

 その三。練習後、サポートの人が先に電車を降りる際、「好きです」と語りかける─。

 最後の話はなかばネタなのだが、メダルを獲得してもほとんど笑顔を見せなかった木村選手とは思えないエピソードばかり。木村選手は木村選手で「彼女はいっぱいます」と笑ってうそぶいた。身の回りで起きたことを面白おかしくツイートしている日常も紹介された。

 鬼気迫る表情だったリオとの落差はあまりに大きいが、それだけリオでの金メダル獲得にかけていた裏返しなのだろう。

■水泳との出会いは“破壊”対策だった!?

 滋賀県栗東市出身の木村選手は、先天性疾患のため2歳で全盲になった。幼少時から活発で、動き回ることが大好きだったという。目が見えないのに自転車に乗っていたというから驚く。

 「家の庭はそれなりに広くて、補助輪なしで自転車に乗れるようになりました。壁や車に当たってボクのけがと同じくらい車の傷が多くて、これはイカンとなったみたいです(笑)。親はプールなら囲いがあって、どっかに行ってしまうことはないし、そんなに大けがはしないと思ったようです」

 小学4年生の時から水泳に親しんだ木村選手は、中学から滋賀を離れ、筑波大学付属視覚特別支援学校へ進んだ。ここで、多くのパラリンピアンを送り出した名伯楽、寺西真人氏と出会う。アテネ大会が行われた2004年であり、出場する選手たちの合宿に連れて行ってもらった。

 「パラリンピックに行く人たちと一緒に泳いだのですが、ぼくが50メートルを泳ぐ間に100メートルを泳いでいる。自分がパラリンピックに行くとは思いませんでしたが、パラリンピックに行く人はこんなにすごいんだと感じました。ぼくも速くなりたいと思いましたね」

 高校3年で初出場した北京大会はメダルなし。卒業後に進学した日大では「水泳部では一緒に練習できないと思って」水泳サークルに所属した。ただ、400メートル自由形の元日本記録保持者でトップレベルでのコーチ経験が豊富な野口教授がサークルの顧問をしており、ロンドン大会では100メートル平泳ぎで「銀」、100メートルバタフライで「銅」を獲得した。

 ロンドン後は本気で「金」をねらおうと、野口教授に本格的な指導を依頼。満を持してリオ大会に乗り込んだ。

■「金」メダルなしに頭は真っ白…

 だが、現地で体調不良に苦しんだ。決して卑下するような成績ではないが、本気で「金」をねらっていただけに、落胆は大きかったという。

 「3種目目の100メートルバタフライが一番、金メダルに近かったので、それで獲れなかったのは、悔しいというか、その瞬間、頭が真っ白になってしまって。悔しいもなければ、悲しいもないし、もちろん、うれしくもない。他人事みたいな感じでした。1、2種目目はメダル獲れて良かったと思っていましたが、バタフライは狙っていたので…」

 金メダルならサンバを踊ろうと、密かに練習していたが、それどころではなかった。

 4個のメダルを首にかけた木村選手

 「あの時点ではどの種目も技術は完全でしたけど、とくに心の部分が足りなかった。試合が近づくにつれ不安になりましたし、楽しみだなとは思えなかった。ぼくは基本的にビビリ。(試合前は)心配で心配でしようがない」

 話を聞いたメンタルトレーナーでもある司会の田中さんは「ビビるという状態は、イラついているのと似た身体状態ではあるのですけど、戦う闘争ではなく逃げる闘争なんです」と解説。木村選手は「(相手を)打ち負かしてやろうというのはありませんね」と打ち明けた。気持ちの持ち方についても「やっているかもしれないが、言語化できていないかもしれない」と続けた。

 そんな木村選手に田中さんは「感情のアーティスティックインプレッション」の言葉を贈った。

 「感情の言語化、見える化というメンタルトレーニングがあるのですが、それはしょせん技術です。それを使ってパフォーマンスをあげられる人と、技術として受け取れない人がいます。アーティスティックインプレッションはシンクロの用語で芸術点です。木村さんは豊かな感情表現があり、芸術点はお持ちです。技術点を学べば、木村敬一ならではの感情調整みたいなことを、心技体の中に入れ込めるのかなと思います」

 田中さん(右)から贈られた「感情のアーティスティックインプレッション」の色紙を手にする木村選手(中央)。左はPARA☆DO!公式アーティストの清貴さん

■木村選手が考える東京大会の成功

 東京大会は3年後に迫った。木村選手はリオでの忘れ物をつかみとるために「金」宣言をするかと思いきや、意外にも「まだ東京で金メダルを獲るとは決め切れていなくて。それも結局は、もう1回、あんなに苦しいこと(練習)をやるのかと怖がっているんですけど」と歯切れが悪い。

 ただ、いまも週6回は泳ぎ、週2回から3回は筋力トレーニングを行っている。3月5日の世界選手権の代表選考会では100メートル自由形で日本記録を更新するなどして代表選手に内定した。この冬は、平泳ぎの練習はせず、自由形とバタフライに絞って練習してきた。「東京で狙うなら自由形とバタフライです。平泳ぎはタイム的に無理ですね」

 東京大会に向けた気持ちの表れとも受け取れるが、「そうではなくて、いつ『やる』と決めてもいいようにです。いま『やろう』と決めると、つらくなっちゃう。自分がそんなに強い人間じゃないと思うと、そんなに無理しなくてもいいんじゃないかと思ったりもして(笑)」。

 オリンピアンでも、次の大会を目指すかの判断にじっくり時間をかけた選手は数多い。競泳の北島康介氏をはじめ、フィギュアスケートの浅田真央選手らが記憶に新しい。リオ大会を目指す過程では、体づくりのために1日5食を無理やり詰め込み、ハードなトレーニングを続ける日々を送った。肉体的にも精神的にも苦しかっただけに、なかなか踏ん切りがつかないようだ。

 では、東京大会にはどんなことを希望するのだろうか。

 「たくさんの人が競技会場にきてくれて、スタンドが埋まっている状態ですかね。ぼくが出てきたロンドンとかリオのパラリンピックというのは、観客席が盛り上がっていたように思いますし、たくさんのお客さんがその一瞬、一瞬を楽しんでくれていると思ったので、そういうところが東京でも出てきたらいいなと思います」

 そうなるためにはパラリンピックへの関心の高まりが必要であり、競泳に限らず、世界と戦えるだけの競技力も重要になる。

 「メダリスト、入賞者がいっぱい出てきて、強いニッポンというのが出れば、見に来てくれる人が増えると思います。そうなれば、成功には近づくと思います。でも、強くても見に来てくれなければ、成功とはいえないと思いますね。パラそのものの成功としては。(競技の)結果は日本中の問題ではなく、競技団体とか選手の問題ですけど、お客さんが来てくれるかというのは、日本中の問題なので。きっと、お客さんがいっぱい来ているということが成功だと思いますし、結果がいいのは、いっぱいのお客さんがきてくれ、たくさん応援してくれることによって実現することでもある。どっちが先に立つかはわからないけど、成功するときは全部つながっていると思います」

 自身が東京大会に挑むかについては「ホント、決めていないんですよ」と煙に巻くが、大会の盛り上がりや強いニッポンのために、パラ競泳界のエース、木村選手の存在が不可欠なことだけは確かだ。(協力 フジテレビ)

このニュースの写真

  • リオでメダル4個 パラ競泳のエース、木村敬一選手がイメージする東京大会
  • リオでメダル4個 パラ競泳のエース、木村敬一選手がイメージする東京大会
  • リオでメダル4個 パラ競泳のエース、木村敬一選手がイメージする東京大会

「スポーツ」のランキング