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東京五輪・パラリンピックの成功に必要なもの 田口亜季、根木慎志、為末大氏が語り合う

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東京五輪・パラリンピックの成功に必要なもの 田口亜季、根木慎志、為末大氏が語り合う

 2020年東京五輪・パラリンピックの成功には何が必要なのか──。五輪では11競技、パラリンピックでは8競技の会場となる東京都江東区は8日、江東区シビックセンターで「パラリンピック成功を応援するトークショー」を開いた。多くの区民が来場するなか、400メートルハードルの日本記録保持者でシドニー、アテネ、北京五輪に出場した為末大さん(38)、射撃でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続してパラリンピックに出場した田口亜季さん(46)、車椅子バスケットボールの元日本代表キャプテンでシドニー・パラリンピックに出場した根木慎志さん(52)の3人によるパネルディスカッションが行われた。

射撃の的を手にする為末さん、根木さんと競技について説明する田口さん(左から)

大歓声に感激した開会式 心に残ったボランティアとのふれあい

 パラリンピアンの田口さん、根木さんは冒頭、開会式に感激した原体験を語った。

 最初は根木さん。

 「シドニーは11万人が入るスタジアムがあり、開会式でそこを行進したのですが、11万人の前で拍手をしてもらい、声援をもらうことは(他では)ありません。本当に涙があふれてきて、体の震えが止まらなくて。そのテンションが印象に残っています」

 交通事故後に車椅子バスケと出会い、自身や人間の可能性を知った根木さんは、スポーツや車椅子バスケの素晴らしさを広めようと、これまで25年にわたり年間約100校をまわり、およそ80万人のこどもたちと触れ合ってきた。

 続いて田口さん。

 「アテネ大会のころは『パラリンピックって何?』という時代でした。新聞の記事もスポーツ面でなく、社会面に載っていました。会社の同僚にパラリンピックに出ると言ったら『五輪はアテネだけど、パラはどこでやるの?』」と聞かれたり。射撃という競技なので国内で試合をやっていてもあまり人が来ません。来ているのは身内ばかりでした。アテネもそんなものだろうと思って行ったのですが、開会式の会場に入ったときにウオーッというすごい歓声。ギリシャの方々が手を振ったり、拍手してくれたり、もちろん開催国だというのはあったと思うのですが、すごい盛り上がっているのを見て、感動して泣いてしまいました」

 やはり、開会式は特別な舞台。ここでの盛り上がりは欠かせない。

 試合会場での声援、ボランティアのホスピタリティーも印象に残ったという。根木さんは3万人が入るドームでプレーした。そのときの空間を忘れられない。

 「満席の中でゲームができて、こどもたちが応援してくれた。いいプレーが出ると盛り上がるんですね。ということは車椅子バスケットボールを体験したり、観戦して、みどころを知っている。でないとあれだけの声援は出ない。プレーヤーとしてやっていて、その声援でテンションが上がり、いいプレーができました」

 一方の田口さんは、ボランティアにも大きな感銘を受けた。

 「競技場、選手村ですごく親切にしてくれたんですね。いろいろなこと手伝ってくれました。わたしが(試合前に)緊張しているときも『大丈夫?』『頑張れ』とか励ましてくるんです。知っている人ならわかるのですけど、何で直接知らない人がこんなに応援してくれるんだろう、と。開会式もそうでしたけど、人の素晴らしさに感動しました」

 大会の成功には、ハード面の周到な準備も必要だが、アスリートの心を動かすのは人間が作り出すスタジアムの熱気であり、ボランティアの献身のようだ。

観て、体験してパラスポーツを知ろう 為末さんはストリート・パラスポーツを提案

 日本の場合はどうだろうか。シャイな国民性もあり、一朝一夕にそうした雰囲気が生まれるとは考えにくい。では、どのように作り上げていけばいいのだろうか。パネルディスカッションに参加した3人は、それぞれの考えを披露した。

 為末さんは“ストリート・パラスポーツ”の実演を挙げた。以前、為末さん自身が、短距離ランナーが路上を駆け抜ける「ストリート陸上」を実行した経験がある。

 「サッカーなんかは戦術がわかるので遠くから見た方がいい。陸上だと遠くからでは、実際に速いかはわからない。近くに寄ると速さがわかるので路上でやってみました。江東区のいろいろなところで(パラスポーツを)やってみたらどうでしょう。例えば、豊洲駅前のロータリーで車椅子バスケをやるとか。みんなの日常のところに競技を持ち込むと、すごさがわかると思います」

 根木さんは「江東区民が必ず1競技を体験する」ことを提案した。

 田口さんは、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会アスリート委員の立場から、実際の観戦を薦めた。

 「これからの3年間でさまざまな大会が日本で開かれます。ぜひ、観戦にいっていただきたいと思います。競技にはルールがありますし、選手を知ってもらえると思います。組織委では『全員が自己ベスト』という目標がありまして、外国の選手にも自己ベストを出してほしいんですね。いきなり行っても選手はわからないと思います。外国の選手もおぼえてもらいたいですね。パラリンピックは22競技あります。スタンプラリーのようなものをつくってはどうでしょうか」

バリアフリー化が求められるのはハード面だけではない

パネルディスカッションに先立ち、江東区の山崎孝明区長は自身の経験をもとに「心のバリアフリー」の必要性を訴えた。

 1年ほど前、区内の小学校にパラリンピアンを招いた際のことだ。1年生の児童が、片方の腕を失った競泳選手に「縄跳びできる?」「逆上がりできる?」などと質問した。区長は、何ということを聞くんだと驚いたが、選手は「できるよ」「逆上がりは得意だよ」などと気さくに応じ、子供たちは「カッコいい」と無邪気に歓声をあげた。この光景を目の当たりにし、「これこそが心のバリアフリーだ」と痛感したという。

 「子供からすると、障害があろうが、なかろうが、フランクな目で見ている。障害を持つ人も明るくフランクに答える。われわれの世代は、まだ、障害者にかわいそう、大変だろうと距離を置いて生活している。もうそういう時代ではありません。2020年は日本の障害者に対する意識改革の最後のチャンスだと思います。ですから、パラリンピックを成功させることが夢であり、希望であります」

 田口さんは、ディスカッションの結びに1964年東京パラリンピックが残したインパクトを語った。

 「わたしが生まれる前の1964年東京大会では、日本のパラリンピアンのほとんどは病院から試合会場に行っていたといいます。重度障害者は病院で安全にしていた方がいいとされていたんですね。外国の選手はみんな仕事を持っていて、スポーツを楽しんで、(大会中は)競技を終えると、タクシーを呼んで銀座に遊びに行ったそうです。それを見て日本人は社会貢献や障害者の自立を考えたといいます。2020年の東京大会の後には違ったレガシーを残せていけたらいいと思います。それは障害者、健常者に関係なく、みんなが支え合える共生社会です。そういう世の中をつくっていけたらいいなと思っています」

競技用義足について話す為末さん

 このイベントで基調講演を行った為末さんは、Xiborg(サイボーグ)という会社を立ち上げ、競技用義足の開発、生産を行っている。Xiborgには3選手が所属しており、為末さん門下の佐藤圭太選手は、その義足を履いてリオ大会の4×100メートルリレーで銅メダルを獲得した。為末さんはパラスポーツに注力しているが、競技力向上だけに目を向けているわけではない。

 「実はパラリンピックに意識をしすぎると、パラの選手だけの強化拠点というのができちゃうんですね。そうするとどんな風景になるかというと、障害を持ってる人だけが練習している場所になるんです」

 昨年12月にオープンしたランニング施設「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」の館長も務める為末さんは、年齢、性別、障害のあるなしは関係なく走りを楽しめる施設とすることを運営の基本にしている。現在は3割程度が障害のある人で、年齢的には6歳、7歳から60歳くらいの人たちが走っているそうだ。

 2012年ロンドン大会は、史上最も成功したパラリンピックと言われている。地元のイギリス勢はメダル獲得数で2位となり、「ゲームズメーカー」と呼ばれ、大会運営を支えたボランティアも活躍。スタジアムは大勢の観客で埋まった。障害者が気軽にスポーツを楽しめる環境がより整備され、裾野を広げた。各種施設のバリアフリー化や市民のボランティア活動に対する意識の高まりは、文字通りのレガシーとなった。東京にもこうした有形、無形の遺産を残そうと、今回のイベントのような取り組みが広がっている。

「PARA☆DO!」サポーターの田口亜季さんに聞く東京大会への思い

東京大会への思いを語る田口さん

──田口さんは東京大会の成功をどのようにイメージしていますか

 「パラスポーツでいうと、ロンドン大会があったのでかなりハードルは高くなりますけど、同じように、見に来たいと思う方々で満員の観客の方々が入り、ルールなんかも知っていて、みなさんが心から楽しんでもらい、選手を応援していただく。選手にとっても観客がシーンとしているのはさみしいですし、リオ大会に出た選手たちは口をそろえて『観客の方の声援が力になった』と言っています。日本の方々も、日本選手だけでなく、外国の選手も応援していただいて、選手のみなさんが自己ベストを出せるような環境をつくれればといいなと思います。

 それだけで終わず、2020年以降もパラスポーツや障害者スポーツに関心をもっていただければいいですね。パラスポーツ、パラリンピアンだけでなく、障害者を含めみんなが助け合っていく共生社会を実現できることが大切だと思います。いっしょになってスポーツすれば『障害者は近寄りがたい』とか『健常者に声をかけていいのかな』というのがなくなっていくと思うんですね。スポーツをしたり、一緒の職場で働いたりしていくと、そういう壁はなくなっていくと思います。そういうのをレガシーとして残すことが成功だと思います」

──選手として3大会に出場しました。どのようなことが印象に残っていますか

 「わたしの場合、緊張が激しいので、開催国を観光とかで楽しめない分、人とのふれあいが結構多かったのかな。ボランティアの方たちがすごく親切だったり、盛り上げてくれたり。精神的に励ましてくれるのは、あとあとも国のイメージになります。ああ、よかったなあと。ボランティアのいろいろな人から励まされました。

 初めて出場したアテネ大会では、街は石畳とかが多かったのですが、パルテノン神殿に仮設のエレベーターができて、上まで上がって行けたんですね。これはよかった。日本の観光地でもこういう配慮ができたらいいですね」

──ハード面はどうでしたか

 「アテネ、北京はオリンピックからパラリンピックへの早変わりと言いますか、選手村の階段にスロープがつくられたりとか、そういう形でしたが、いまはアスリート委員会でそういう話をしていると、オリンピアンの人たちから『じゃあ、パラリンピアンに合わせて競技場も選手村つくればいいんだよね』と。そういうマインドになってきています。選手村だけでなく、街もそうなっていきますよね。もともとみんなが使えるようにつくる。それが今後、いろいろなところに波及すれば、障害者だけでなく、これから高齢化社会になりますから、そういうことにも備えることにもなります。駅とかもそうですよね。まだまだエレベーターがついていない駅があると思いますので。そういうのも変わっていければいいのかなと思います」

──本当の成功は東京大会後に決まると言われます

 「2020年まではみなさんが盛り上げてくださると思います。ただ、その後は経済的な支援もなくなるかもしれません。全部が全部成功することはありえないのですが、いろいろなものがレガシーとして残ることが大切かなと思います。中でもパラリンピアンの環境ですね。いま東京大会を目指している人はいいのですが、東京のパラリンピックを見て出たいと思う人たちも絶対出てきますよね。生で見た障害のある子どもたちが、ああいう風になりたいな思ってくれ、障害があってもスポーツできるんだ、じゃあ、わたしたちもやってみようと思ったとき、スポーツ施設にいったときに、2020年まではスポーツ施設を使えていたのに、もうダメですとか言われたら、悲しいですよね。

 スポーツ施設の利用はパラリンピアンでも5人に1人は断られた経験があります。2020年が終わったら、健常者優先だよ、オリンピアン優先だよとなってしまったら悲しい。2020年に向けてのような急な上がり方はできなくても、少しずつ発展していければいいですね」

(協力 フジテレビ)

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  • 東京五輪・パラリンピックの成功に必要なもの 田口亜季、根木慎志、為末大氏が語り合う
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