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【オリンピズム】1972札幌(5)“羽”をもがれたジャンパー 補欠となった選手は…

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【オリンピズム】
1972札幌(5)“羽”をもがれたジャンパー 補欠となった選手は…

札幌五輪の開会式で日本選手団の先頭を歩く旗手の益子峰行=1972年2月3日 札幌五輪の開会式で日本選手団の先頭を歩く旗手の益子峰行=1972年2月3日

 札幌・宮の森に3つの日の丸をはためかせた「日の丸飛行隊」は、3人のメダリストだけではない。7人の男がしのぎを削るチームだった。

 本番前日の夕方、その7人が選手村の笠谷昌生コーチの部屋に集められた。試合に出場できるのは1カ国4人。そのメンバーが発表されることを、選手たちは知っていた。

 選に漏れた3人への気遣いだったのか。笠谷コーチはあえて明るく「発表、発表!」と言って4人の名前を読み上げた。そして普段通り、「はい、ご苦労さん」とミーティングを切り上げた。

 70メートル級には金銀銅のメダルを獲得した笠谷幸生、金野昭次、青地清二と23位の藤沢隆。5日後の90メートル級は、青地に替わって板垣宏志が出場した。開会式で日本選手団の旗手を務めた益子峰行は、一度も五輪の舞台で飛べなかった。

 「あのメンバー構成を見てね、自分が正選手になれる可能性はゼロとは言わないけれど、限りなく少ないっていうのは分かっていた。決定打がなかった」。当時29歳。チーム最年長だった益子が振り返った。

 理解はしていても、現実を受け止められなかった。選手村では笠谷、青地と相部屋だった。「微妙なバランスだったね。一つの部屋にさ、2人選手で1人補欠って。しゃべることないっしょ」。その晩、益子は選手村を抜け出した。ススキノのなじみのスナックの扉を開けた。

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