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【オリンピズム】1964東京(15)パラリンピック「大会を大成功させる」 鳥原光憲の決意

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【オリンピズム】
1964東京(15)パラリンピック「大会を大成功させる」 鳥原光憲の決意

鳥原光憲氏 鳥原光憲氏

 鳥原光憲は東京大学の2年生だった。御殿下グラウンドでサッカー部の練習中、ブルーインパルスが描く五輪の輪が大空に広がった。空を見上げ「世界の祭典が始まる、こんなときに練習をしていていいのか」と、そう思った。

 友人と、日本対アルゼンチン戦を見に駒沢競技場へ行った。まさかの劇的な逆転勝利に感動し、後のサッカー人生が規定されたように思う。

 五輪コーチの岡野俊一郎は小石川高校、東大を通じてサッカー部の先輩だった。高校の練習に岡野が「日本サッカーの父」、デッドマール・クラマーを連れてきてくれたこともある。「リフティングを50回」と指示され、誰もできなかった。今では、小学生が楽々とこなす。

 日本代表は東大近くの旅館で合宿しており、よく練習相手も務めた。「サンドバッグ役」として、強化の一端は担ったのかもしれない。

 代表選手の中でも、杉山隆一の速さは群を抜いていた。タックルに行くとすでにそこにボールはなく、足だけを削る。「こらあ」と怒られたことを、よく覚えている。後年、この話をすると、杉山は覚えていなかった。

 高校、大学、社会人の東京ガスでもプレーを続けた。監督、部長も務め、Jリーグでは「FC東京」の発足に向けて駆け回った。東京ガスの本体では社長、会長も歴任した。サッカー人、企業人としての豊富な経験から、請われて日本障がい者スポーツ協会会長、日本パラリンピック委員会会長にも就任した。

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