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【話の肖像画】競泳コーチ・久世由美子(2)「『水で命を落とす子供をなくしたい』という思い芽生えた」…ビニールハウスからの出発

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【話の肖像画】
競泳コーチ・久世由美子(2)「『水で命を落とす子供をなくしたい』という思い芽生えた」…ビニールハウスからの出発

ビニールハウスのプールで選手たちを指導してきた(本人提供) ビニールハウスのプールで選手たちを指導してきた(本人提供)

 〈水泳のコーチになったのは32歳のとき。2児の母親になった後のことだった〉

 現役時代は自由形の選手でした。当時は九州のナンバーワンが日本のナンバーワンで、高校(福岡・筑紫女学園高)時代は、九州で3番に入るくらいのレベルでした。その後、旭化成(宮崎県延岡市)に入社し、21歳で現役を引退し、結婚後は2人の娘に恵まれ、育児に励んでいました。

 ある日、ニュースで水難事故があったことを知って、「水で命を落とす子供をなくしたい」という思いが芽生えたんです。水泳の楽しさを広めたいという気持ちもありました。水泳好きの仲間が集まって、昭和54(1979)年に東海(とうみ)スイミングクラブを設立しました。当時も現在もスタッフはボランティアです。それぞれが仕事や家事、子育ての時間をやりくりしてプールに集まり、水泳の指導をしています。

 〈東海スイミングクラブは保護者らによる手作りのビニールハウスのプールとして知られる〉

 延岡市には環境の整ったプールが少なかったんです。私たちは東海中学校のプールを使っていますけど、スイミングクラブを始めた当初は屋根も暖房もなく、真冬はプールサイドに石油ストーブを持ち込んでの練習でした。水温が9度、10度になると、25メートルを年齢の数だけ泳がせるのが精いっぱいで。それでも100人近い子供たちが「もっと上手になりたい」と必死に練習していました。それを見かねた親たちが一致団結して、建築業をしている親御さんの指揮の下、ビニールでプールを覆うことにしたんです。

 作業は骨組みから全て手づくりでした。保護者らが寄付を募ったり、廃品回収をしたりして約700万円の資金を調達して、約1年で完成させました。泳げるようになった子供たちの「次は競技会に出たい。もっと練習をしたい」という願いが原動力になりましたね。

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