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【舞の海の相撲俵論】「続いてきたものには意味がある」

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【舞の海の相撲俵論】
「続いてきたものには意味がある」

舞の海秀平氏 舞の海秀平氏

 国技館の木戸を抜けると、左手に「案内所」の入り口が見えて来る。いわゆる「相撲茶屋」。二十軒がのれんを掲げている。季節の花と提灯(ちょうちん)で彩られた通路は関取の取組が始まるころにもなれば、たっつけ袴(ばかま)の出方が忙しそうに動き回る。

 江戸情緒にあふれ、相撲を見る前から訪れた者は心を弾ませる。出方は席まで案内してくれ、飲食の注文を取って届けてくれる。客はその労をねぎらい、心付けを渡す。茶を頼めばペットボトルではなく、瀬戸物の急須と湯飲み茶碗(ぢゃわん)。あえて昔ながらの雰囲気を醸し出している。

 茶屋の歴史は古い。江戸時代の1800年頃には、相撲を見物する人々の中から自主的に飲食の世話をする者があらわれた、という説がある。

 明治42(1909)年に「相撲茶屋」の名称となり、戦後、一番(高砂家)から二十番(林家)までの形態がつくられた。現在では「国技館サービス」と名称を変えたが、「茶屋」の呼び名の方がなじみ深い。

 相撲人気が高まり、一般の窓口を通じては入場券が手に入りにくくなると、常に一定分を押さえている茶屋が「暴利をむさぼっている」かのような批判を浴びることがある。

 しかし、ずっといい時代ばかりだったわけではない。時をさかのぼれば、戦中には茶すらまともに手に入らず、軍配や絵はがきなどありふれたものを売ってしのぎ、番頭や出方が次々と応召され、女手ばかりになったこともあったという。

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