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【話の肖像画】PL学園野球部元監督・中村順司(4)初出場初V、目に浮かぶ泥んこ笑顔

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【話の肖像画】
PL学園野球部元監督・中村順司(4)初出場初V、目に浮かぶ泥んこ笑顔

第59回選抜大会を制し、選手たちに囲まれて満面の笑みがこぼれる(手前中央) =昭和62年4月4日、兵庫県西宮市 第59回選抜大会を制し、選手たちに囲まれて満面の笑みがこぼれる(手前中央) =昭和62年4月4日、兵庫県西宮市

 〈PL学園監督として栄光の日々を送ったが、やり直したいと思うこともある〉

 立浪が主将だった62年に甲子園春夏連覇を果たして以降、平成4年春に戻るまで甲子園から遠ざかることになった。桑田と清原がいた昭和58年から60年、そして立浪の時代と完成度の高いチームが続いたこともあって、私の指導が雑になってしまった。「言わなくてもそれぐらいは分かるだろう」と勝手に判断してしまった。入来(祐作、元巨人など)や坪井(智哉、元阪神など)といった力のある選手もいただけに、甲子園へ連れて行けなかったことは悔しく思っています。

 〈OBらが集まると「自分たちこそが最強世代」という話題で盛り上がるというPL学園野球部。「黄金時代」を率いた指揮官が選ぶ最強世代はやはり…〉

 1つだけ選ぶとすれば、桑田と清原が3年生だった60年ということになるでしょうか。3年生だけで5人がプロに行ったんですからね。立浪が3年生だった62年はエース級の投手が複数いたので、3連戦ということであれば互角の勝負をしたかもしれません。ただ、62年のチームを育てたのは60年のチームだった。60年春の甲子園準決勝で敗れた桑田たちを見た立浪や片岡(篤史、元日本ハムなど)は「あれだけすごい先輩たちが、あれだけ練習しても負けるんだ」と衝撃を受け、「俺たちは先輩たち以上に練習しないと勝てないぞ」と奮い立ったそうです。立浪たちは納得しないかもしれませんが、「先輩を立てる」というのもPL学園の伝統でもありますし、60年のチームに軍配を上げておきましょう。(聞き手 奥山次郎)

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