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【話の肖像画】PL学園野球部元監督・中村順司(2)球道即人道、グラウンドは人生の縮図

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【話の肖像画】
PL学園野球部元監督・中村順司(2)球道即人道、グラウンドは人生の縮図

円陣を組み、柔和な表情で選手に指示を出す。甲子園の全国舞台でも平常心を貫く =昭和60年8月21日 円陣を組み、柔和な表情で選手に指示を出す。甲子園の全国舞台でも平常心を貫く =昭和60年8月21日

 子供の頃は、遊びといえば野球しかなかった。私は仰木彬さん(元西鉄で近鉄、オリックスで監督を歴任、平成17年死去)と同じ福岡県中間市出身で、昭和31年から3年連続日本一を達成した西鉄ライオンズに熱狂しました。

 小学校の卒業文集に「プロ野球選手になりたい」と夢をつづり、中学のときには浪商(大阪、現・大体大浪商)の尾崎行雄さん(元東映、平成25年死去)が甲子園で力投する姿をテレビで見て感動しました。PL学園に進学したのは、あの浪商と同じ大阪の高校であればレベルの高い野球ができると思ったからです。

 〈PL学園2年だった昭和38年春の甲子園に控え野手として出場。将来的に野球の指導者になることを意識しながら名古屋商科大学に進学し、キャタピラー三菱でも現役を続けた〉

 野球を続けていると、嫌でも自分の限界に気付かされます。私は守備には自信があったんですが、バッティングが非力。野球の指導者になったのは、たまたま51年にPL学園からコーチとして声をかけてもらったからなんです。もともと高校を卒業したら家業の理髪店を継ごうと思っていたことを考えると、全く違う人生になりました。

 〈コーチ就任から名古屋商科大学の総監督を務める現在まで、指導の理念は「球道即人道」という座右の銘に集約されている。PL学園野球部OBでもある宮本慎也氏(元ヤクルト)も自身のブログのタイトルにするなど、多くの教え子らがこの言葉に強く影響を受けている〉

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