産経ニュース for mobile

【国際情報分析】退位から70年のルーマニア元国王が悼まれるワケ 共産主義政権の「圧政」と王政時代への「郷愁」

記事詳細

退位から70年のルーマニア元国王が悼まれるワケ 共産主義政権の「圧政」と王政時代への「郷愁」

国際情報分析更新
ルーマニア元国王のミハイ1世=1997年(ロイター) 1/5枚

 第二次世界大戦後にソ連の圧力で退位し、2017年12月5日に死去したルーマニアの元国王、ミハイ1世の国民葬が16日、ルーマニアの首都ブカレストで行われた。欧州の王族らが多数参列し、多くの国民がその死を悼んだ。退位から70年がたつにもかかわらず高い人気を保ってきたことについて、欧米メディアは共産主義政権の圧政の記憶からくる共感と王政時代への「郷愁」があると分析している。

<< 下に続く >>

 96歳で死去したミハイ氏の国民葬には、スウェーデンのカール16世グスタフ国王や英国のチャールズ皇太子、スペインの前国王、フアン・カルロス1世ら多数が参列。ひつぎが搬送された沿道は数万人の市民で埋め尽くされた。

 ミハイ氏は1921年に生まれた。祖父の死去に伴い、わずか6歳で即位したものの、3年後に王位継承権を放棄していた父が復権したため退位。しかし、クーデターで父が40年に追放されたことで復位した。なお、退位させられた父はポルトガルに亡命している。 45年、ソ連がルーマニアを占領し社会主義政権が誕生。圧力に屈したミハイ氏は47年、退位文書に署名しスイスに亡命した。各地の王室でも珍しい2度の戴冠(たいかん)と退位を経験した国王だった。

 ルーマニアでは65年、チャウシェスク独裁体制が成立し、国民は恐怖政治に苦しんだ。2007年の欧州連合(EU)加盟後も汚職が蔓延(まんえん)し、経済は低迷したままだ。

 そうした中でミハイ氏は1997年に市民権を回復し、「陛下」の尊称で呼ばれる特別な地位を与えられてきた。同氏への国民の敬意は、歴史に翻弄されたその数奇な運命に、自分たちの苦しい生活を重ね合わせてきたためでもある。

 女性市民はAP通信に対し「(ミハイ氏はルーマニア人の)道徳や威厳、親切心のお手本だった。心が痛む」とその死を悼んだ。

 ミハイ氏という大きな存在がいなくなった「王家」には不安要素もある。ミハイ氏が亡くなり新たに長女のマルガレータ氏が「王冠守護者」の称号と「陛下」の敬称で呼ばれるようになった。ただ、マルガレータ氏には子供がない。また、2015年にはミハイ氏の次女の息子で継承順位3位のニコラス氏が継承権を剥奪された。当時、双方の考え方に違いがあったとミハイ氏は声明で言及している。

 ミハイ氏の甥(異母兄の子)が王家の一員であることを認めさせる裁判を起こし、ルーマニアの裁判所がそれを認める判決を下したということもあった。今後、相続・継承に関する問題が起きる可能性もある。(滝田慶幸)

ルーマニア 面積は約238000平方キロメートルで、日本の本州とほぼ同じ広さ。人口は約1976万人(2016年)。首都はブカレスト(人口約210万人)。民族はルーマニア人が8割超で、ハンガリー人が約6%。現在の国家元首は2014年12月に就任したクラウス・ヨハニス大統領。ルーマニアの在留邦人数は332人(2017年3月現在)。

写真ギャラリー

  • ルーマニアの首都ブカレストで行われたルーマニア元国王のミハイ1世の国民葬。沿道には多くの国民が詰めかけた=2017年12月16日(AP)
  • ルーマニア元国王のミハイ1世の棺の前で別れを告げる人々=2017年12月13日(AP)
  • ルーマニア元国王のミハイ1世の葬儀に参加する長女のマルガレータ氏(左から2人目)=2017年12月16日(ロイター)