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【東日本大震災7年】「震災と向き合い、生きる」 阪神大震災で被災…東日本では妊娠中の長女犠牲に 高松の藤田さん、追悼式出席へ

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阪神大震災

「震災と向き合い、生きる」 阪神大震災で被災…東日本では妊娠中の長女犠牲に 高松の藤田さん、追悼式出席へ

東日本大震災7年更新
東日本大震災による津波で命を落とした菊池朋さん=(遺族提供) 1/2枚

 東日本大震災で岩手県陸前高田市に嫁いだ長女の菊池朋(とも)さん=当時(29)=を失った藤田敏則さん(69)=高松市=が11日、陸前高田市の追悼式に出席する。一家は兵庫県西宮市で阪神大震災を経験したが、全員無事だった。震災をどこか「人ごと」のように考えていたというが、2度目の震災は妊娠4カ月だった朋さんを大津波がのみ込んだ。「震災と向き合いながら生きていく」。あの日から7年。今度こそ惨禍を後世に伝えていくことを誓う。(小松大騎)

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朗報の直後… 「娘の死を無駄にしたくない」

 今年1月17日、阪神大震災の犠牲者の追悼式が開かれた神戸市中央区の東(ひがし)遊園地。朋さんに向けて黙(もく)祷(とう)をささげる藤田さんの姿があった。一家は23年前、当時住んでいた西宮市で被災した。自宅は半壊だったが、中学生だった朋さんら家族が無事だったこともあってか、震災をどこか人ごとのように感じることもあったという。しかし、その考えは16年後の平成23年3月11日に覆された。

 大津波が東北を襲ったあの日、朋さんの夫から「朋と連絡がつかない」と報告を受けた。現地に駆けつけたが、朋さんら130人以上が避難していたという3階建ての市民会館は、骨組みだけを残して波にさらわれていた。18日後、海中から朋さんが見つかった。顔は泥だらけで黒ずんでいた。涙をこらえることができなかった。

 朋さんは大学時代に知り合った夫と21年春に結婚し、夫の実家がある陸前高田市に移住。社会福祉士として市役所で働き始めた。東北に行くことも、福祉の道を歩むことも、全て朋さんが自ら決断した。そんな娘が誇らしかった。

 震災の約1カ月前、娘から「妊娠した」との朗報が届いた。自分にとっては初孫。妻の英美さん(64)は「朋以上にうれしそうだった」と振り返る。「これから岩手に行くことが多くなる」と腹帯を準備し、お祝いに行こうとした矢先の悲劇だった。

できることを 現実を受け入れられない日々が続いた。仕事中に1人になると自然と涙があふれた。何かに没頭しなければ気持ちを保てなかった。

 娘の死から約1カ月後、「お父さんができることをやれば」という朋さんの声が聞こえた気がした。阪神大震災当時、画廊を経営していた縁で、子供たちを励まそうと「お絵描き会」を開いた経験があった。

 悲しみを埋めるように23年5月末から約4カ月間、岩手県内の53カ所でお絵描き会を開催。子供ら約1800人が参加した。「子供たちを励ますつもりが、逆に笑顔に癒やされた」

 一度だけ朋さんが夢の中に出てきたことがある。「お父さん、自転車を買ってよ」とねだられた。「夢でしか会えない」ことを実感し、むせび泣いた。気の済むまで泣くと、娘のいない現実を素直に受け入れられるようになった。震災から3年がたっていた。

娘を忘れない 昨年11月、西宮市から高松市の新居に越した。玄関ポーチの床面には、娘が避難して命を落とした市民会館のタイルを埋め込んだ。「阪神大震災のときとは違う。地震の恐ろしさを後世に伝えるため、震災と向き合いながら生きていく」という決意を込めた。

 お絵描き会を通じて出会った遺族らとの交流は今も続く。そうした交流を通じて地震の教訓をどう受け継ぐのか考えるつもりだ。

 陸前高田市で3月11日に行われる追悼式には今年も出席する。毎年参加するのは亡き娘に会いに行くためでもある。式では、心の中でこう呼びかけるつもりだ。

 「朋のことずっと忘れないから。高松にも遊びにおいで」

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  • 11日で東日本大震災から7年となるのを前に、震災で失った長女の菊池朋さんへの思いを語る藤田敏則さん(右)と英美さん=香川県高松市御厩町(小松大騎撮影)