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【映画と生きる】中谷美紀演じる頑固な洋裁師「服も映画も最高のものを」…『繕い裁つ人』三島有紀子監督の“こだわり”と“哲学”

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【映画と生きる】中谷美紀演じる頑固な洋裁師「服も映画も最高のものを」…『繕い裁つ人』三島有紀子監督の“こだわり”と“哲学”

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 中谷美紀が頑固な洋裁店主を演じる「繕い裁つ人」 原点は大正生まれの父の教えにあった。「小さいころから、ものには作り手と使う人間がいて、作り手の思いや魂が込められているものを使ったり身にまとったりすることの喜びは、父がつねづね語っていたことでした。その話を聞いて、私は作る側の人間になりたいなと思ったんです」と、三島有紀子監督は言う。

 中谷美紀が演じる頑固な女性洋裁師が主人公の「繕い裁つ人」(1月31日全国公開)は、三島監督が「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」に続いて職人の生き方を見つめた作品だ。職人にとって大切なものとして、今回は自らの内面に深く向き合うことに焦点を当てたが、実はこの企画は監督の中では最も早く、8年前から始まっていた。大阪で育った少女時代、父親は神戸のテーラーで仕立てたスーツしか着なかった。父親の職人に対する敬意は服に限らず、一緒にデパートに行ったときなど、銀食器や時計を見せて、「この部分を見てみい。いい仕事してはるやろ」と自慢するような人だったという。

 その思いもあって、仕立屋の映画を作りたいと洋裁店などに取材を重ねていたところ、5年ほど前に池辺葵原作のコミック「繕い裁つ人」の連載を知る。誇りを持って服を作っている主人公の姿は、もともと三島監督が描きたいと思っていたものと一致した。「最高の技術を駆使して最高のものをお届けする、というのは、自分でもそうありたいと思っていたことです」と監督は打ち明ける。

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 父親の影響を受けながらも、三島監督の興味は服作りには向かわなかった。同じものを作る職人として彼女が選んだのは映像の世界だった。きっかけは4歳のとき、父親に連れられてイギリス映画「赤い靴」(1948年)を名画座で見たことだ。主人公が自殺を選択するラストに強い衝撃を受け、1週間ほど考え続けて気がついたのが、死ぬ選択をする権利があるということは生きる選択の権利もあるということだった。

 「自分は選択してここに生きているんだと思った瞬間に、生きている実感が味わえた。そういう力を持っている映画ってすごいなと思ったのが最初で、小学校時代は毎週、名画座に通い続けました。習っていたバレエ学校の近くに大毎地下という名画座があって、バレエ学校が終わったら名画を見て帰るというのが日曜日のコースでした」

 やがて映画監督への憧れが芽生えたが、高校を卒業して選んだ道は、映画を専門に学ぶ学校ではなく神戸女学院大学だった。ここでも父の助言が生きた。「映画を作る技術と何を描くかというのは違うというんです。何を描くか、何を大事に思っているか、といった哲学をはぐくむのが学生時代だ、と。普通の大学に通いながら8ミリフィルムを撮っていた方がいいかもしれないと思ったんです」

 アルバイト代をつぎ込んでせっせと8ミリ作品を制作していたが、資金はすぐに底をついてしまう。どこかお金を出して撮らせてくれるところはないものかと思っても、当時はどこの撮影所も助監督を採用していない。だったら自主映画を撮れる道はないかと考え、企画を携えてアポも取らずにNHKを訪ねた。たまたま通りかかったNHKの職員が読んでくれて、よかったら来年の採用試験を受けたらどうかと誘ってくれた。

 「NHKって職種別採用で、ディレクターで受けたらずっとディレクターなんです。それはちょっとおもしろいかもしれない、と受けたら通ってしまった。当時は自分で企画を書いて、通ると自分で撮れた。おもしろくて10年くらいいたのですが、はたと、私は映画を撮りたかったんじゃなかったっけと思って…」

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 実はNHKでは主にドキュメンタリーを担当し、ドラマは撮っていない。興味のある人を追いかけて、その人がさまざまなことに直面したときにどういう表情をし、どういう言葉をつぶやくのか。そういう人間観察をする方が将来、芝居でいい演出ができるのではないかと思ったのだ。

 「当時は、悲しかったら泣く、というレベルのことしか考えていなかった。でも人間って理屈じゃないんですよね。本当に悲しいときに大笑いしてしまうこともあるし、どういうときにどういう感情の表現をするかというのを、ドキュメンタリーで学ばせてもらいました」

 その姿勢はNHKを辞めて映画監督になった今も貫いていて、脚本を書く前には必ず綿密な取材を行う。それをいったんすべて捨てて、この人物はどういう風に生きてきてどういう言葉を語るのか、をゼロから構築していくという。今回の「繕い裁つ人」でも、映画に登場する古めかしいミシンは誰がどこから手に入れて、どうやって主人公に渡ったか、といった裏付けを考えて作っている。

 もう一つ、三島監督がこだわっているのは、撮影現場に誰よりも早く入るということだ。その空間で実際に動くことで生まれる芝居があって、だからその日になって突然、セリフや演出が変わることもある。

 「脚本はただの設計図でしかなく、実際にその空間に立ったときに自然に動けるかどうかを自分がやってみて決めます。今回も、光の入り方がすごくきれいな日だったので、アイロンをかけて蒸気がばーっと出たら主人公の市江さんのそのときの気持ちが表現できるんじゃないかと思って、そういう芝居に変えたことがある。突然言われてみんなであわてる、という光景が毎朝、行われていました。でも市江役の中谷さんは、この作品がどこに向かっていけばいいかを一緒になって考えてくれる人だったので、2人でゴールを迎えられたなという感じです」

 その向かう先とはどこだったのか。「言葉で語るものではないのですが」と言いながらひねり出してくれたのは、失われつつある本当に大切なものに関する監督なりの哲学だった。

 「同じような服がどこでも手に入る時代、市江さんの服はここでしか手に入らない、その人のためだけに作られた服なんです。でも時間とコストがかかるものはどんどん失われていっている。そういう世界って美しいかというと、決してそうではない。それがきちんと残る世の中というのが美しいんじゃないか、というのが私の哲学なんです」

 今後は「それでも生きていく」をテーマにしたいと思っている。その第1弾として、2月28日公開の短編集「破れたハートを売り物に」の1編「オヤジファイト」を監督した。普通のサラリーマンが妻と子に逃げられた後、どう生きていくかといった話で、「どんな状況であってもそれでも生きていく、ということが美しいと信じたい」ともう一つの哲学を語ってくれた。(藤井克郎)

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