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【新・仕事の周辺】石井妙子(ノンフィクション作家) 「沈黙の女優」原節子を追いかけて

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石井妙子(ノンフィクション作家) 「沈黙の女優」原節子を追いかけて

新・仕事の周辺更新
石井妙子さん(本人提供) 1/1枚

 平成27(2015)年に95歳で亡くなった女優、原節子。彼女の生涯を追いかけて、私は評伝『原節子の真実』を昨年春に出版した。執筆に3年ほどかかった。

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 いうまでもなく原節子は、日本映画史上に燦然(さんぜん)と輝く大女優である。「東京物語」をはじめとする、一連の小津安二郎監督作品のヒロインとして、ご記憶の方も多いことだろう。

 その彼女は昭和37(1962)年、42歳での映画出演を最後に、何もいわずに銀幕から消えた。以後、亡くなるまで50年以上も完全な黙秘を貫き、一切のマスコミ取材を拒否。親族や友人をも遠ざけた完全な隠棲生活を送り、生前から「伝説の女優」となった。

 なぜ、彼女は引退したのか。それは「昭和史の謎」とまでいわれ、さまざまに論じられてきた。最も流布された噂は、「敬愛していた小津安二郎監督が急逝し、そのショックから」というもので、小津安二郎と原節子との「純愛」、ないしは「殉愛」説が唱えられもした。

 しかし、私が調べた限り、それらは小津映画ファンたちの(それも男性の)願望が生み出した一種の妄想であって、まったく根拠がない。女性が自分で下した大きな決断を、異性の影響だとして見ようとする傾向は、なんとも浅はかであるし、原節子に対して失礼であろうと私などは思う。

 彼女は非常に理知的な女性で、映画界の中にあって常に苦悩していた。演じさせられるヒロイン像への不満、安きに流れる日本映画界への失望。健康問題を抱え、衰える容姿を冷静に見つめてもいた。こうした苦悩の中にこそ、引退の理由は見いだせるはずだ。

 評伝を書く場合、もちろん当事者が存命であれば、本人に会って話を聞くことが望ましい。だが、こと原節子に関していえば、それは絶対に不可能なことだった。私も毎年、彼女の誕生日に自宅を訪れ、同居する親族に手紙を託してはきたが、もちろん、彼女からは何の返答も得られなかった。だが、それでこそ原節子であるし、私はそんな彼女だからこそ魅了されていったのだ。本人に会えず、語り合えないからこそ、「原節子」をひたすら考え続け、思い続けた。沈黙する彼女とずっと対話していたような気がする。

 今日、ブログや、ツイッターといった、SNSの発展により、自己発信したい人々で世の中はあふれている。一国のトップまでが、あまり深く考えずに自分を語る。そして、当事者が言うことなのだから、それは真実に違いないと、発言内容を吟味することなく信じるといった風潮もまた、強まっている。