産経ニュース for mobile

【書評】書評家・倉本さおりが読む『影裏』沼田真佑著 再読のたびに印象が一変

記事詳細

書評家・倉本さおりが読む『影裏』沼田真佑著 再読のたびに印象が一変

書評更新
『影裏』沼田真佑著(文芸春秋・1000円+税) 1/1枚

 縁のない土地でただひとり心を許せる友人だと思っていた男が、次第に別の顔を見せ始める-。デビュー作にして見事第157回芥川賞を受賞した本作は、プロットだけを抜き出せばごくシンプルな構造に映るだろう。長さだって100ページにも満たない。だが再読のたびに印象が一変し、自分が見ている世界には常に偏りがあるということをまざまざと思い知らされる。

<< 下に続く >>

 語り手の〈私〉は出向先の岩手で日浅という男に出会う。同性・同世代で独身同士、共に酒好きで釣り好き。すぐに距離を縮め、余暇のほとんどを連れ立って過ごすようになる。ところが日浅が互助会の訪問営業の仕事に就いた頃から関係に軋(きし)みが生じる。その後、日浅が震災を境に失踪したことを知った〈私〉は彼の実家を訪ねるが、父親から思いがけない話を聞かされる。

 互助会のノルマに汲々となり、〈私〉にすら頭を下げて入会を頼み込んできた日浅は、一方で辟易(へきえき)するほど厭味(いやみ)で攻撃的な態度をとる。しかも失踪の前に気のいい同僚からまとまった額を借りっぱなしであることが判明。おまけに父親は、彼が大学の卒業証書を偽造していたことを明かす。そこから短絡的に浮かび上がるのは詐欺師の姿だろう。けれど、息子に対して侮蔑の言葉を重ねながら異様に饒舌(じょうぜつ)になっていく日浅の父親の姿にも薄気味悪さを覚えるはず。そして反比例するように、単純な喜びに彩られた日浅との釣りの情景が輝き始める。

 すると、〈私〉の語りからじわじわと滲(にじ)み出るものがある点に気づく。例えば、かつて男性の恋人がいたということ。さらりと差し込まれるその事実は明確な定義を与えられないまま漂い、ただ〈私〉の生活のよるべなさを濃くする。それは日浅と〈私〉がつかのま共有していた空気でもあり、大文字の「震災の物語」からはこぼれ落ちてしまう孤独の姿でもあるのだ。

 投げかけられた光が必ず影を生むように、言葉をあてがった瞬間にはみ出してしまう者もいる-マイノリティーが本来立っている場所を静謐(せいひつ)かつ繊細に綴りあげた、素晴らしい作品の誕生を寿ぎたい。(文芸春秋・1000円+税)