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【この本と出会った】『断片的なものの社会学』岸政彦著 精神科医・星野概念 つかんでもこぼれてしまう人間の「良さ」を言葉にした

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『断片的なものの社会学』岸政彦著 精神科医・星野概念 つかんでもこぼれてしまう人間の「良さ」を言葉にした

この本と出会った更新
精神科医の星野概念さん 1/2枚

 中学校の時に知り合い、今でも酒を酌み交わす友人が1人いる。学生時代、私と彼の接点は決して多くはなかった。それでも、何だか感性が合う気がして、ときどきしゃべるときには他の人とは違う面白さを感じていた。

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 あるとき、そんな彼から「これを見ろ」と、1本のビデオテープを手渡された。それは、大竹まこと、きたろう、斉木しげるからなるコントユニット「シティボーイズ」のライブが8時間も収録されたものだった。

 見たときは衝撃的だった。分かりやすいオチもないし、セリフは噛(か)むし、意味もあまりよく分からない。それなのに、むちゃくちゃ面白い。私は夢中になってしまい、その後何度も繰り返し見た。それから約20年後。彼は酒を片手に、「シティボーイズのコントみたいな本を見つけたから読め」と、本書を手渡してきた。

 著者は、ある歴史的な出来事を体験した当事者の生活史の語りを聞き、それを分析する社会学者だ。個人的な語りや生活史の分析を専門とする著者が、日常生活や聞き取り調査の現場に転がる「分析も解釈もできないこと」ばかりを集めたのが本書だ。

 個人の生活史の語りを聞き、分析するという意味では、著者の活動と、私の精神科医としての日々の診療は似ていると思う。そして、ある個人と向き合うとき、分析するのに向く語りと、そうではない語りがあるのを私も感じる。

 うっかりすると、分析するのに向く語りは意味のある語り、そうでない語りは無意味な語り、と捉えてしまいそうになるが、そうではない。分析するのに向く語りは、確かに語りの中でもハイライト(名場面)だ。だからこそ抽出され、分析される。でも、人生はそういったハイライトよりも、そうではない、自分以外の誰も知らないような時間の方がきっと多い。著者の言葉を借りるならば、「世界中で何事でもないような何事かが常に起きて」いる。

 1日に何時間もパソコンに向かい、普通の人々のブログや日記を見ることに時間を費やす著者は、例えば「マックのテキサスバーガーまじヤバい」と書かれて3年近く放置されているような日記に着目する。著者の言う通り、こういった語りは膨大にある。そして、この断片的な人生の断片的な語りからは、何も意味のあることを読み取れない。芸術的価値観を見いだせるわけでもない。このような「誰にも隠されてはいないが誰の目にも触れない」、徹底的に世俗的で、孤独で、膨大な語りの存在を、著者は美しいと言う。

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  • 『断片的なものの社会学』岸政彦著