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【書評】シベリア抑留研究者・長勢了治が読む『知られざる本土決戦 南樺太終戦史 日本領南樺太十七日間の戦争』 ソ連の北海道占領阻んだ奮戦

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シベリア抑留研究者・長勢了治が読む『知られざる本土決戦 南樺太終戦史 日本領南樺太十七日間の戦争』 ソ連の北海道占領阻んだ奮戦

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藤村建雄著『知られざる本土決戦 南樺太終戦史』(潮書房光人社) 1/1枚

 今では「サハリン」は知っていても「樺太」は知らない人が多いかもしれない。

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 本書は、かつて日本人が40万人暮らしていた南樺太で起きた熾烈(しれつ)な地上戦の全貌を克明に描いた画期的な戦史である。各地の戦闘の経緯はもとより住民の避難や惨劇、樺太脱出を活写している。

 ソ連は昭和20年8月8日、日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告し、翌9日未明、満洲と朝鮮北部に侵攻した。

 樺太では9日に銃砲撃はあったものの、ソ連軍が北緯50度の国境を越えて半田(はんだ)陣地に侵攻したのは11日だった。

 樺太防衛を担った第88師団は対米戦を想定して南部に主力を布陣しており、8月初頭に対ソ戦準備に転換したものの、北部国境地帯には大きな部隊を配置していなかった。

 それでも歩兵第125連隊は半田、古屯(ことん)で果敢に自衛のための戦闘に入り、ソ連軍の南部への侵攻を一刻でも遅らせようと奮闘した。

 樺太ではもう一つ激しい戦闘があった。真岡(まおか)近郊での戦いである。終戦後の8月20日、ソ連軍は突如、真岡に艦砲射撃を開始し上陸しようとした。真岡市街にはごく少数の管理部隊しかおらず、民間人がほとんどだったが、ソ連兵は容赦なく無差別攻撃を行った。樺太での民間人死亡者2千人のうち約半数が真岡で殺された、といわれるほどの虐殺だった。上陸したソ連軍は日本側の軍使を殺害する無法ぶりで、荒貝沢(あらかいざわ)、ついで熊笹(くまざさ)峠で激しい戦闘となった。

 北部国境にせよ、真岡近郊にせよ、日本軍は少数部隊で高い死傷率にもかかわらず、装備や人員で遥(はる)かにまさるソ連軍の進撃を阻止し、多数の民間人の避難を助けたことを著者は高く評価している。

 樺太戦は真岡以外でも無辜(むこ)の民の犠牲者を多数出した。西海岸の恵須取(えすとる)から東海岸の内路(ないろ)へ向かう避難民の列へのソ連機による銃撃。大泊(おおどまり)から小樽へ向かう避難民を満載した船舶3隻へのソ連潜水艦からの雷撃と銃砲撃などだ。

 南樺太と北千島・占守(しゅむしゅ)島での日本軍の勇敢な戦いはスターリンの「北海道北半分占領」の野望を打ち砕くものだったと著者は解している。(藤村建雄著/潮書房光人社・3500円+税)