産経ニュース for mobile

【書評】純朴青年に下された命令 『チャップリン暗殺指令』土橋章宏著

記事詳細

純朴青年に下された命令 『チャップリン暗殺指令』土橋章宏著

書評更新
1/1枚

 笑いながら読み進めるうちに、気がつくとホロッとさせられている。そんなどこかチャプリンの映画にも似た味わいを感じる歴史エンターテインメントだ。

<< 下に続く >>

 時は昭和7年。世界恐慌に巻き込まれ、不況のどん底で困窮をしていた頃の日本が舞台。血気盛んな青年将校たちは、腐敗した政財界に対してクーデター(後の五・一五事件)を画策している。そこに新入りとして加わっていた主人公、津島新吉は、来日するチャプリンを暗殺せよと唐突に命令されてしまう。

 この青森出身の陸軍士官学校生の津島新吉がとにかく純朴で素直。先輩たちの理想に従い、まず、映画を見て顔を覚えるところから任務を始めようとするのだが、なぜだかややこしい方向へずれていく。チャプリンの弟子をめざすあやしい役者にたかられたり、カフェの美人ウエートレスといい仲になったり…。

 だいたいやさしすぎる青年に暗殺など向いていないのだ。ただ、本人はそのミスマッチに気がついておらず、大まじめに悩む。

 一方、チャプリンの秘書の高野虎市はやり手で機転がきく。滞在の間の警護がかなり手薄だと知ると、チャプリンを守るべく、先回りして次々と手をうっていく。

 チャプリンの暗殺計画は実際にあったようで、高野も実在の人物だ。歴史的事件の中にフィクションが自然に織り込まれていて、どこに境目があるのかわからないほどだ。

 著者の土橋章宏氏は『超高速!参勤交代』で脚光をあびた新鋭。同名映画の脚本も自身が手掛けた。シナリオ作家らしいシーンの切り替えが早い簡潔な文体が実に小気味いい。戦争の足音が聞こえる暗い時代をもコミカルに、所々、笑いをとりながら描いている。

 後半、作者はチャプリンの人間性にも多く触れている。好奇心旺盛で美食家でありながら、常に貧しい人たちを気にかけていたようだ。

 「喜劇の本質は哀しみだ」と語るチャプリン。この言葉とともにほろ苦いラストが心に残る。肩の力をぬいて楽しんでほしい一冊だ。(文芸春秋・1400円+税)

 評・赤羽じゅんこ(童話作家)