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【主張】建国記念の日 祝典主催は政府の責務だ

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建国記念の日 祝典主催は政府の責務だ

主張更新

 政府が率先して祝う日とせねばならない。

 今年は明治元(1868)年から起算して150年になる。国民の間にも明治という時代に思いを馳(は)せ、当世への教訓を見いだそうとする動きが広がっている。明治6年に制定され、建国記念の日につながる紀元節を顧みる人も多いだろう。

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 西洋列強による植民地化の脅威が迫るなか、明治政府は世界に伍(ご)していくため近代国家建設に乗り出した。紀元節の制定は、初代神武天皇が奈良・橿原の地で即位した建国の由来を改めて学ぶことで、国民に一致団結を呼びかける意義があった。

 先の大戦後、日本国誕生の物語を遠ざけようとする風潮が強まったのは、何とも残念である。即位に際して神武天皇が、国民を宝とし、世界を一つの家となす「八紘一宇(はっこういちう)」の精神を示したことも軍国主義に結びつけられた。皆が仲良く暮らすことを求めた真意が歪曲(わいきょく)されたというほかない。

 よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

 神武天皇以来連綿と継承されてきた平和希求の心をうたいあげた明治天皇の御製である。

 その四方(よも)の海に今、波風が激しく立ち騒いでいる。北朝鮮の核・ミサイル開発や中国の強権的な海洋進出などが、紀元節制定の頃を上回る脅威となっているのだ。

 こんなときこそ明治の、ひいては神武創業の精神を思い起こし、政府主唱の下、国民が団結して日本の平和と国民の安全を守り抜く覚悟を決めねばならない。

 政府は「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要」として明治150年の関連施策推進を打ち出した。それも大切だが、政府がまず行うべきは明治政府に学んで建国の意味を広く国民に説き、国民とともに建国を祝うことではないのか。

 かつては財団法人主催の祝典を後援したこともあった。しかし平成17年の中止以降、国が法で定めた祝日を政府自らが祝わないという異常な事態が続いている。

 政権を奪還した24年の衆院選で自民党は、政府主催の式典開催を公約に掲げたものの、その後、主催はおろか後援の式典すら開かれていない。今年も同様だ。

 明治150年の節目にあたり、これまで繰り返してきた「一日も早い公約の実現を」との主張を今一度、声を大にして訴えたい。